「好きな子とか、いないの?」
なんて余計なおせっかいを発揮されて、真人は正直うんざりしていた。
多分、院長は部屋にこもりがちの自分を心配して、「面談」と称した世間話を振ってくれたのだ。勉強はどうだ、という話から始まった。自分は勉強に苦労したことはあまりないから「大丈夫です」と答えた。次に学校はどうかという話になった。自分からして見れば夢見学園は可もなく不可もなくと言った感じだ……なので、「普通です」と答えた。
そこから院長の学生時代の話になって、「京ちゃんと出会った」頃の話になって、壮大な恋愛話を展開されて、冒頭のセリフに行き着いた。
「……女子みたいなこと、聞くんですね」
何気なくそう言って「しまった」と真人は思った。院長は本当に心に女児を飼っている。悪い意味じゃなくて、と慌てて付け加えると、院長は「分かってるわよ」と返した。
「ただ……アタシはね、アンタが学校で浮いてないかとか、暦の暮らしはどうか、とか……そういうのを気にしてるだけ。アンタくらいの年頃からすればこういうの、うざったいかもしれないけど……相互理解って大切よ。言葉にして欲しいわけよ」
「それは…………わかってます」
「なら、答えてちょうだいよ。好きな子とかいるの?」
「……なんでそうなるんですか。僕、そういう話苦手なんで……」
「どこにも漏らさないわよ? ホラホラ~」
「……」
頬杖をついた院長にニヤニヤ笑われながらそう聞かれると、まるで同級生に揶揄われているようで落ち着かなくて。マフラーに口元をうずめる真人は、少しだけその言葉の意味を考える。
……好きな子、そう言われて最近いつも考えてしまう、あいつのこと。
(なんで……、あいつが思い浮かぶんだ)
月のような色をした髪を揺らす彼女が屈託なく笑うようになったのは、最近の話だ。それまでは僕も彼女も、自慢じゃないくらい暗い顔をしていた。裏表無くはにかむ彼女を見ていると、言い知れない気持ちに襲われて、唇を固く結んでしまう。それは彼女が前を向くようになって、自分に真っ直ぐに向き合うようになってから、それと───
「心当たり、あるみたいね?」
気づけば真人の頭の中は、彼女のことで埋まっていた。瞳をらんらんと輝かせる院長から、視線を逸らすので精一杯だ。でも、されっぱなしなのも嫌なので文句を口にする。
「──性格。悪いですね。院長」
「よく言われるわ! まあ、アンタの性格的に……積極的なアピールは苦手かもしれないけど。あんなおとぼけ娘でも、誰に取られるとも限らないからね?
「何目線ですか。僕の何を知ってるんですか。……コレ、飲み終わったんで。話、終わっていいですか?」
「んもう。かわいくないわねぇ、真人」
勝手に決めつけやがった上に、何をどう応援してくれるのやら。役に立ちそうで立たなさそうな院長の言葉を背に受けながら、真人は席を立ちリビングを出る。玄関に通ずる廊下に立ち止まって、少し考えた。
「はぁ──」
真人が深いため息を吐くタイミングで、玄関の扉が開く。現れたのは、甘い髪色を揺らしたあの子。朗らかによく通る声で、彼女は言った。
「ただいまー」
どうしてこうもよろしくないタイミングは重なるんだと、居もしない神に恨み言をぶつけたい気分だ。すぐに小百合は真人を見つけ、無邪気な笑顔で駆け寄ってくる。
「あ、真人。ただいま!」
「…………おかえり」
「あめりと英里は?」
「どっちも、部屋にいますよ」
「そっかぁ~」なんて言いながら、カバンを下ろし、着ていたコートを脱ぎはじめる小百合。自分の部屋でやればいいのに、なんて思いつつ、何かを話したそうな彼女の言葉の続きを聞く。
「聞いてよ、さっき優のお見舞いに行ってきたの。それでね、今度テスト勉強を見てくれることになったんだけど……優、リハビリの予定が詰まってて、なかなか時間を合わせられないんだって」
どうしようかなぁ……そう言いながら視線を彷徨わせる小百合を真人はぼんやりと見ていた。
ああ、幼なじみの話。彼女がまだ、ひとりじゃなかった頃から……双子の兄貴がいたって頃から、彼女のことを知っているという兄弟の話。さっきからこっちは、考えたくもない小百合のことが頭の中をぐるぐる回って仕方ないっていうのに、小百合は別の奴のことを考えている。なんだか不公平だ。
だから真人は思い切って……或いは、自然と……こう尋ねていた。
「──僕じゃ、ダメですか?」
「え」
「僕が勉強を見るんじゃ、ダメですか」
小百合は驚いたように、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。その頬は、ほんのりりんご色に染まっていた。
……別におかしなことは言ってない、はずだ。あめりの勉強も、英里の宿題も、真人が見ることが多いから。ただ……
「え、い、いいけど──真人、そういうのしてくれないと思ってた。わたしには」
「………………なんですか、それ」
「だって真人、わたしのこと苦手でしょ?」
「………………」
それは、本当に、出会ったころの話だ。
とはいえ少し苦手意識が薄れてからも、変わらず妙な気恥ずかしさを感じて、またはそれ以外の理由で──真人は小百合の勉強を見ることはほとんどなかった。きっと、傍から見たら避けているように映っただろう。だから、小百合は当たり前のことを言っている。今の真人にはそれが、妙に切なくてしょうがなかった。
「あんまり話してくれないし。話してくれても、微妙に距離がある感じなのに」
「……ぐ」
変な声が出る。だけど小百合は曇りのない穏やかな笑顔で言う。
「びっくりしたよ、でも嬉しい! 真人、頭いいもんねー」
屈託のない微笑み、無防備で人が好い対応。
あんたはいっつもそうだ、あんまりな目に遭ってもそれを改めないで、周りに心配ばかりかけて。なのに、そういうところに、僕は……
「………………まあ、そうですね。あんたよりは」
「もおー」
……とにかく、たまには僕が優位に立っても良いだろう。真人ははしゃぐ小百合から目を逸らして、マフラーをくいと引っ張りながら続ける。
「……それじゃあ、他の予定は全部蹴って。僕がみっちり叩き込むんで」
「えっ! 優と約束しちゃったのは」
「……どっちか選ぶしかないでしょ。僕の指導でいいなら、それはいい感じに断ってください。じゃないと教えません」
「そんなあ~! ううー……わかったよ……」
悪いことしちゃったなー、なんて呟く小百合だったが、改めて真人に向き直ると、にっこり笑って見せた。
「その代わり、真人がずーっと付き添ってくれるんだよね? えへへ。よろしくお願いします!」
「…………まあ。そのつもり……です」
気づけば、院長がなんとも意地悪な微笑みを浮かべてこちらを伺っている。けど、……もうなんでもいいや。
喜ぶ小百合を横目に、真人もひそかな独占の予感に僅かな胸の鼓動を感じるのだった。