ナミダ星の願いごと | momoiroHuman

ナミダ星の願いごと

SKIMAにて千草犬子(https://skima.jp/profile?id=225343)様に書いて頂いた作品です。


月並区まどろみ町。
不思議なことが起きるこの町で、わたしは大事な人たちと時間を積み重ねていっている。
孤児院「こよみの園」は、その日の夜賑やかな笑い声で包まれていた。

「小百合ねーちゃん、はいお皿!」
フライパンを傾けて卵の焼き加減を調整していたら、弟の英里が素早くお皿を差し出してくれた。
英里が整えてくれたチキンライスの山の上に、ふわふわの卵を滑らせて包む。
つるりとしたその仕上がりに
「やったあ。綺麗に出来たね」
と二人で手を叩いて喜び合った。
「小百合さん……サラダこれでいいかしら」
おずおずと声を掛けてきたのは妹のあめりだ。
丁寧に敷かれたレタスの上に、等間隔できゅうりやトマトのスライスが並べられている。
「わあ、とても綺麗な色合いだね」
と褒めるとあめりはホッとしたように、でも嬉しそうに微笑んだ。

「ねえねえ、あめりねーちゃん。ぼくたちでオムライスに絵を描こうよ」
ケチャップを構えた英里が名案だとばかりに目を輝かせている。
「絵……何を描いたらいいのかしら」
ケチャップを持ったまま思案するあめりを他所に、英里は勢いよく何やら描き出した。
絵を描くことを想定されていないケチャップの線は太く、潰れてしまっているのでわたしはピンと来なかったけれど。
「あ、もしかして小百合さんの顔?」
「あったりー!次は誰描こうかな」
あめりは見事正解していた。
英里と年齢が一番近い分、通じるものがあるのかもしれない。
「わたしってこんなにまん丸かなあ」
でもにこにことした笑顔で描かれているのは悪い気がしない。

「ただいまーっ!町内会長引いちゃって……あら。良い匂いがする」
こよみの園の院長、陣内さんが慌ただしそうに帰って来た。
「アンタたちだけで準備したの?良く出来てるじゃなーい」
わしわしと豪快に英里とあめりの頭を撫でている。
二人ともその力強さに慌てたものの、照れくさそうにしている。
「皆の顔を描いてるんだよ」
「成程、成程……って、この顔がバナナみたいになってるのアタシ!?」
「えへへ。ちょっとケチャップの勢いが良すぎて縦長になっちゃった」
「うーーん、まあでも可愛いからOK!」
思わず顔を抑えていた陣内さんだったけれど、英里とあめりが一生懸命描いたということに感銘を受けたようだった。
「ぷっ、くっくくくく……バナナ……」
後ろで覗き込んでいたミカドはどうもツボだったようで、思わず吹き出してしまっていた。
ちょっと、と陣内さんにじろりと睨まれたミカドは慌てて飲み物の準備を始めながらリビングを見渡した。
「折角だから温かいうちに食べないとね。皆揃ったかな?」
あとは真人だけだと確認したところで、玄関からガチャリと音がした。
「あ、ちょうど今真人が帰ってきたみたい」
真人は似顔絵にどんな反応をするのだろうとワクワクしてしまう。

いつも通りの賑やかな夕飯になるかと思いきや。
「はあああああ……」
席に着いた真人は思い切り憂鬱そうだった。
しかし、そんな真人でもオムライスに描かれた自分の似顔絵を見た途端、強張った顔が和らいだのだから弟妹パワー恐るべし。
「凄い溜息。どうしたの?」
心配そうに真人の顔を窺う英里とあめり。
陣内さんは大人で敏いからとっくに真人が気落ちしていることに気づいているけれど、ここは末っ子たちに任せることにしたみたいだ。
真人は本来面倒見の良いお兄ちゃん気質だから、下の子たちに弱いのだ。
わたしと真人はある意味同等だから、いろんなプライドとか邪魔して言いにくいだろうと思って見守ることにした。

案の定、真人はわたしの方をちらちらと気にしながら口を開いた。
「……どのみちバレることか。今度まどろみ町の企画で、夢見学園と月が丘女学院で合同演劇を開催することになったんですよ」
「へえ!それは知らなかった」
わたしは初耳だった。どうもそれぞれの学校代表のクラスがランダムで選ばれることになるらしい。
そんな楽しそうな話が出ていれば学校中の話題になっていると思うので、まだこちらでは正式に発表されていないのかもしれない。
「それが……僕のクラスが選出されて」
途端に真人は歯切れが悪くなった。
やがて口に出すのも嫌だ、といった調子で続けた。
「演目が『人魚姫』で、その王子役を皆嫌がって……おかげでクジで決めることになったんです」
「え」
「まさか」
早くも何かを察した様子の陣内さんとミカドが目を合わせていた。
「……僕が、当たってしまったんです」
クジというどこまでも公正な決め方だったからこそ、文句を言うことも出来なかったらしい。
「えー!王子様とか主役だし、格好良いじゃん」
「でも人前に出るのは嫌って人もいるのよ」
英里は目をキラキラさせたけれど、恥ずかしがり屋なあめりは真人に同情しているようだった。
「嫌に決まってる、授業とは別に稽古時間が必要だし人前でダンスとかもさせられるし……」
人に感情を読まれるのを避けて、帽子とマフラーが手放せない真人にとっては確かに苦行かもしれなかった。
「そしたら、うちの学校から人魚姫の役を選出するのかな」
「当たり前でしょ。そっち女子校なんだから。だからこっちから王子役が出る訳で」
頭を痛そうに抑えていたので、英里が心配そうに擦ってあげていた。
「だ、大丈夫だから。やるからには腹をくくりますよ……。それで今度から稽古で帰宅時間が遅くなります」
「分かったわ。無理しないようにね」
陣内さんの言葉は短いけれど、労わりに満ちていた。
「真人、もしわたしのクラスが選出されたらサポート頑張るから!何でも言ってね」
真剣に心配してそう言葉を掛けたわたしを真人はじっと見つめて
「いっそ、あんたが人魚姫役なら気が楽かも……」
とボソリと呟いた。
「え?」
「いや、人魚姫にしては賑やかすぎるな。何でも無いです」
一言余計だと思ったけれど、何だか真人の「気が楽」という言葉が耳に残っていた。
だからだろうか。
わたしのクラスが合同演劇に選ばれ、人魚姫の役を立候補で募っていた時。
「はい!」
と真っすぐに手を挙げてしまった。
友人たちは驚いていたけど、「お似合いですわ」「小百合ちゃんの人魚姫、ぜひ見てみたいです」と応援してくれて……。
わたしの人魚姫役は決定したのだった。

意気揚々とそのことを伝えたら、真人は信じられないという顔をしていたけれど
「正直、とても助かります」
と疲労を滲ませた声音でお礼を言ってくれた。
ちょうど主役同士が一緒に暮らしているということもあって、台本の読み合わせ練習を家ですることが出来た。
その他の脇役をあめりが担当してくれて、英里には聞き取りやすいか発音や声の大きさを観客代わりにチェックしてもらった。
最初は読み合わせの段階でしどろもどろになってしまい、先行きが不安になったけれど毎日練習を積み重ねていく内につっかえなくなっていった。
「毎日つきあってくれて、本当にありがとうねえ」
協力的な弟と妹には頭が上がらない思いだった。
「ううん、練習楽しいよ!」
「私も。本を読むだけじゃなくて実際に声に出すのも意外と楽しいわ」
「二人とも凄く上手くなってると思うけど、小百合ねーちゃんは台詞間違いがちで、真人にーちゃんは声が小さくなりがちかも」
「うう」
「痛い所を的確に突かれた……」
薄々気づいていたお互いの弱点に、顔を見合わせてしまう。
「合同演習は数が少ないから、舞台に実際に立つと余計に緊張しそう」
「とにかく万全に準備するしか無いんじゃないですか」
双方の学校のスケジュールがある為、実際に演者が全員揃う機会は少ないのだ。
今のところ、学校では代役の子を交えて練習している。
それに加えて夜は家でみっちり読み合わせをして、それでも時間が足りないと感じてしまう。
実際に本番では文化ホールを使うことになっていて、学校の体育館でもミスをしないかと心臓がバクバクしているのにどうなることかと思う。

「……あとね、今日学校の練習で言われたことが気になっていて」
今日から『人魚姫』の後半の稽古が始まっていた。
「ほら、前半は人魚姫は台詞があるけれど……後半は喋れなくなってしまって、身振り手振りの演技だけになるでしょう?」
「ああ、台詞が少なくて羨ましいですね」
「それがそんなことないんだよー!」

『小百合ちゃんは喋っていなくても表情から声が聞こえてくる』
クラスメイトからそう指摘されたのだ。

「「「ああ~~」」」
真人、英里、あめりの三人が同時に頷いていた。
「やっぱりそうなんだ……」
その反応に気づいていなかったのは自分だけかと落ち込んでしまう。
前半の人間の世界に憧れ、王子様に恋に落ちて……と希望に満ちて活き活きとした人魚姫の役作りに関しては好評だったのだ。
生命力に溢れ、地上という未知の世界に胸を高鳴らせる様子が真っすぐな演技に表れていると。
しかし、後半は人間になるための薬と引き換えに声を失い、愛しの王子が自分と別人を命の恩人だと勘違いする切なく悲しい展開へと一変する。
「王子に恩人は自分だと伝えたくても声が出なくて、しかも別人と結婚したら命まで奪われる悲しさや虚しさ……が演技から伝わらないみたいで」
「確かに、そこが人魚姫という物語の盛り上がりどころなのかもしれないけれど……、あんたの普段のイメージからかけ離れすぎていますね」
「真人が『人魚姫にしては賑やかすぎる』って言っていたの、そういうことかあ」
「小百合さんの良いところだと思うわ」
あめりがそっとフォローをしてくれた。

「でも、もしかしたら小百合さん自身が後半の人魚姫に感情移入出来ていないんじゃない?納得できないのに役作りなんて……難しいもの」
「あっ!そうかも……そういうことかも」
そのあめりの言葉にはピンときた。
「この物語の王子様って、人魚姫のこと別のお姫様と勘違いしちゃうし、そのまま結婚までするでしょ?」
人魚姫は王子様に一途に片思いするけれど、王子様にとっては別人と間違えるくらいの相手なのかなと思ってしまうのだ。
「最後はあんまり幸せそうな寝顔をしてるから、人魚姫は王子様を殺せなくて身投げしちゃうし……。何だか人魚姫の一人相撲な気がして」
これなら声が出せていても結果は同じだったんじゃないかと考えてしまう。
「それも一理あるかもしれないけれど……。全部ひっくるめて、叶わないと分かってはいても伝えたい気持ち……という悲恋がウケてるんじゃないですか」
「うーーん、そういうことなのかなあ」
「はい、お疲れ様―ココアだよ。そういえば……」
重苦しい雰囲気になっているのを感じたのか、ミカドがココアを差し入れしてくれた。
「ニュースで言ってたんだけど、今夜は数十年に一度のナミダ星が見られる夜なんだって。外行ってみる?」
「ナミダ星?」

すぐに真人がナミダ星についてネットで調べてくれた。
十年に一度、まどろみ町で観測することが出来る珍しい流れ星のことらしい。
何がナミダなのかというと、流れ星からカラフルな星の欠片が気化されることなく地上に降り注ぐとのことだ。その様が涙に似ているからナミダ星。
星の欠片はごく僅かしか生成されず、手に入れた人は願いが叶うと言われている。

「普段の流れ星より希少で特別だから、願い事も確実に叶うはずっていう噂が立っているみたいです」
「早く見に行こうよ!」
ポツポツと説明してくれていた真人の腕を英里が引っ張ったのをきっかけに、皆でぞろぞろと外に出てみることにした。
「!!」
「わあ……」
一歩外に出た途端、全員感嘆の声をあげた。
視界いっぱいに映る流れ星と言うのは壮観だった。
その色はカラフルで虹のようだった。
小さな虹が無数にちりばめられている様な、不思議な光景だ。
きらきらと光彩を放って入るけれど、星の欠片が落ちているかは見つけられなかった。

「ほら、願い事をしないと」
「でもこの流れ星早すぎて三回も唱える暇が無いわ……」
英里とあめりが願い事について話しているのを聞いて、わたしは真っ先に
『どうか人魚姫の役作りがうまくいきますように』
と心の中で強く願ったのだった。

星の欠片が見つかることは無く、しばらく皆で話しながら流れ星を眺め続けた。
非日常なその美しさは一時の間でも、悩み事を忘れさせてくれた。
「そろそろ寝ようか、ほら中に入って」
ミカドが切り上げる合図を出して、皆で名残惜しく思いながらも家へと戻っていった。
その時。
「!?」
一番後ろを歩いていたわたしの口めがけて何かが飛び込んできた気がした。
だけど、それは一瞬の事だったので目が眩んだのかと思って特に気に留めなかった。

それが、まさかあんなことになるなんてーー
この夜のわたしは思いもしなかったのだ。

「~~~~…!!」
翌朝、いつも通りリビングで皆に挨拶をしようとした時に異変に気付いた。
端的に言うと、声が出なくなってしまったのだ。
最初風邪を引いてしまったのかと思って、慌てて月並総合病院のかかりつけの先生に診てもらった。
そしたら喉には全く異常は見つからず、風邪の症状も他に見つからなかった。
わたしは喋れない代わりにタブレットで文字を入力していたけれど、このまま声が出なかったら演劇はどうなってしまうのかと不安で手が震えてしまう。
そのただならぬ様子を見ていた先生は、しばらくどこかへ連絡を取った後、一つの可能性について説明してくれた。

もしかしたら、わたしの声が出なくなった原因は『ナミダ星』かもしれないと。
ナミダ星が観測された後は、何かしら異変を抱えた人々が現れるらしいのだ。
その異変は実に様々だけれど、共通していることがある。

『ナミダ星に願ったことが実現してしまった』状態らしい。
例えば、髪の毛を短く切りすぎた女の子が早く伸びるようにと願ったら翌朝物凄い長さに髪の毛が伸びてしまったり。
恋人と離れたくないと願った人は、物理的に身体がぴったりくっついて離れられなくなってしまったり。
わたしには勿論、心当たりがあった。
後半の声が出なくなった人魚姫の役作りがうまくいくようにと願い、喋れなくなってしまっているのだ。
そしてナミダ星を見ていた夜に、何かが口の中に飛び込んできたようだとも。
今までナミダ星で願い事が叶った人々は、数時間もすれば元に戻れたらしい。
しかし、わたしの場合おそらくは星の欠片を体内に取り込んでしまっている。
何でそんなことが起きたのかと言えば、わたしの持つ潮汐力に引き寄せられたのではないかというのが先生の見解だった。
『わたし……ずっとこのままなんですか?』
不安な気持ちで尋ねたら、先生はナミダ星の研究者に確認を取って
『ナミダ星の欠片の効力は、願った者が満足すれば消える』ということが判明していると教えてくれた。
ただ、わたしの件はイレギュラーな部分もあるので少し時間が長引くかもしれないとも。
泣きそうになってしまったわたしを、絶対に大丈夫だと温かく励ましてくれた。

病院に行った後、陣内さんに説明をしたところ、ゆっくり一日休むようにと念を押された。
学校に出ても演劇の練習に参加出来ないことが申し訳なかったので、部屋で休養を取ることにした。
しかしーー
一人きりでベッドに眠っていれば、嫌でも不安は大きく膨らんでいってしまう。
(願った者が満足したら効力を失うって、曖昧な条件なんだよなあ……)
はあああ、と大きくため息をついたつもりが声が出ないので妙な感覚だった。
時間を無駄にしたくなくて、台本を読み込んで過ごすことにした。

いつの間にか日は暮れていて、コンコンと扉がノックされた。
癖ではーい、と返事をしようとして声が出なかったことを思い出す。
慌てて扉を開けると、そこには気まずそうな真人が立っていた。
「えっと、声が出ないって話は聞いたんだけど……入ってもいいですか?」
こくこくと大きく頷くと、真人がリンゴジュースを渡してくれた。
リンゴはわたしの好物だ。
気を遣ってくれているのが伝わって、慌ててタブレットに『ありがとう』と打ち込んだ。
「別に、このくらい」
と照れているのかそっぽを向かれ、その時にテーブルに台本が広げられていることに気づいたようだ。
「こんな時にまで練習を……いや、これが原因だからか。あの、僕はあんたが人魚姫役だったら良いのにって言ったじゃないですか」
こくりと頷いてみせると、真人は少し眉を下げて続けた。
「お人好しなあんたが本当に人魚姫役を買って出てくれて……僕は助かったけど、凄く負担をかけてしまった上にこんなことになってしまって」
すみません、と消え入りそうな声で謝られてわたしは驚いていた。
まさか真人が責任を感じてしまっていたとは思いもしなかったのだ。
急いでタブレットに言葉を入力しながら、この間がもどかしくて仕方が無かった。
いつもだったらそんなことないよ!と一言笑いながら簡単に伝えられることなのに。
『今回のことはナミダ星のせいだし、演劇には自分の意志で参加したんだよ。真人は何も悪くないから謝らないで』
「そんな訳にはいきませんよ。何が出来るか分からないけれど、あんたの声が戻るよう手伝います」
真剣な眼差しで言い切られて、真人の気持ちを無下にできないと思った。
それにわたしもこのままじっとしているのは性に合わない。
『わたしは人魚姫の役作りに悩んで願い事をしたから、自信が持てたら成就したということで星の欠片の効力が無くなるかもって考えているんだ』
「そうですね、他の症例を見るに解決するには願望を叶えたという実感が必要そうです」
『とりあえず、今日もいつものように練習に付き合ってもらえないかな?』
「分かりました」

いつもの読み合わせより緊張感を持って後半の人魚姫の演技に注力する。
別のお姫様を恩人だと勘違いして、仲を深めていく王子様を陰から見つめる。
どんなに見つめても、言葉が出ないものだから王子様には届かない。気づいて貰えない。
(わたしはここにいるよ!って叫びだせたらいいのに)
ふと、そんな思いが脳裏をかすめた。
わたしがもうあの二人の間に割って入ることなんて出来ないのかもしれないけれど。
自分で無い別の誰かを見つめる王子様――真人の後ろ姿を見つめていると、振り向かせたいという衝動に駆られた気がしたのだ。
(お願い、こっちを向いて。わたしを見て)
思わず手を伸ばしてしまう自分の心の動きに動揺してしまう。

「……!小百合さん、今のところアドリブの動き、とても良かったわ」
読み合わせに付き合ってくれているあめりが驚いたように拍手していた。
『本当?いつもと何か違ってた?』
「うん。相手には見えないところで手を伸ばしているのが、何だか……とても必死で健気で。見ているこっちも切ない気持ちになったの」
「そうか、演者同士には見えていなくても、観客に見える場所でアピールすることも可能なんですね」
『わたし、少し前進出来たかも。ありがとうね、二人とも』
もしかしたらこれで明日には元に戻れるのではないかと期待してしまう。
しかし、そんなことはなく。
翌朝も声は出ないままだった。

ちょうど休日だったのは幸いだったかもしれない。
それでも、学校での稽古を休まないといけないことが焦りを助長させてしまう。
(何が足りないんだろう。わたしは確かに昨日一歩成長出来たはずなのにな……)
台本を繰り返し読みながら、昨日掴みかけた何かについて考え続けていた。
「ねえ、ちょっといい?」
ドアのノックと同時に真人から声を掛けられた。
開けてみたら、出かける服装をした真人が立っていた。
「気分転換に海に行きませんか?院長には許可貰いましたから」
頷いて、すぐさま準備を整え出発した。

歩きながらタブレットを操作するのは難しいので、わたしはずっと無言のまま海へと向かうことになった。
元々真人はお喋りな方ではないので、「車来てるよ」と軽く注意してくるくらいのものだった。
それでも気まずくならなかったのは意外だった。
時折真人が何か言いたげに口を開こうとしては止める、というのを繰り返していたのは気になったけれど。
海鳥のけたたましい鳴き声と共に、目の前に真っ青な海が開けた。
潮の独特な磯臭さが鼻につき、穏やかな波の音が耳をくすぐる。
「足元気を付けて」
と砂浜を歩きだしたわたしに真人が声を掛けてきた。
何だか今日の真人は優しい…というより過保護に思えた。
海風を浴びながら、人魚姫が王子様を助けた時の浜辺はこんな感じだったのかなと思いを馳せた。
丁度よい大きさの流木があって、そこに二人で腰かけることになった。
またもや真人はわたしにリンゴジュースを渡してくれた。

「えっと……実はまだ謝りたいことがあったんです。言い出しにくくてこんな所まで連れてきてしまったけれど」
腰を落ち着けたのでタブレットを使って話の先を促した。
「あんたのこと、人魚姫を演じるにはお気楽……ともとれるような言い方をしてしまったって」
『え?まあ実際似たような感じだよ』
「本当は知ってたはずなのに。あんたがやたら明るくて前向きなだけじゃないって……苦しみを一人で抱え込んでしまうようなところもあるのに」
(真人……)
わたしが「こよみの園」に来たばかりの頃のことを言っているんだろう。
今ではすっかり打ち解けられているけれど、ショックから抜け出せないでわたしは自分の殻に閉じこもっていた。
徐々に心を開くことが出来る相手が増えていって、自分の居場所を見つけることが出来たんだと思う。
「だから、今回の事であんたが悩み過ぎてまた塞ぎこんでしまうんじゃないかと……」
『真人、心配してくれたんだね』
「まあ、そうです。あんたのことだ、演劇に必要以上に責任感じて無理するんじゃないかと」
(そういうことだったんだ)
真人から貰ったリンゴジュースをぐいっと飲み干した。
好きなものをさりげなく準備してくれたり、労わってくれたり。
『真人こそ、隠そうとするけれど凄く優しいって知ってるから。わたしは大丈夫だよ』
「なっ!」
真人の鼻の頭が少し赤く染まったのが見えた。
「それと……賑やかだって言ったけれど、うるさいとかって意味じゃなくて。現にあんたが隣でずっと黙っている状況が落ち着かなかったです。いつもなら他愛もないことばかり喋るけど、僕は……」
少し間が空いた。
「あんたのお喋りを聞いてる時間が、案外好きだったんだなって気づきました」
『!』
今度はこちらが赤くなってしまう番だった。

『ねえ、ダンスの練習しない?折角の海に来てるんだから、演技の勉強になるかも』
「ちょっと、あんた正気ですか」
照れ隠しに提案をしたら、真人にとってはそちらの方がよっぽど恥ずかしいことだったらしい。
『メモリアで音楽鳴らすからさ、役作りのためだと思って!』
そう頼んだら渋々折れてくれた。
休日の海とはいっても、周囲には人は全然いなかったのでわたしは全く恥ずかしくなかった。

昨日掴みかけた何かが、あと少しで分かりそうな予感がしたのだ。
メモリアから練習で何度も聞いたワルツが流れ出し、二人で構える。
「当たり前だけど、砂の上だから動きにくい……」
声は出せないけれど、あははと笑った。
波の音。
これは稽古では感じることが出来なかったリアリティだ。
二人で密着して、ステップを刻む。
波のようにゆらゆらと身体を動かしながら、気が付けばその心地よさに目を瞑っていた。
目を閉じてイメージする。
わたしは空想をすることが得意なのだ。
稽古の時より二人とも自然に身体を寄せているからか、緊張を感じない。
(わたしが今踊っている相手は大好きな王子様で……こんなふうに踊れたら、きっと幸せで胸がいっぱいだよね)
実際に胸の奥がじんわりと温かかった。
(真人は悪かったって言ったけれど、わたしは嬉しかったんだよ?真人が人魚姫役がわたしなら良いのにって思ってくれていたこと)
気安さや練習の条件が揃っているというのもあったかもしれないけれど、それよりも真人にとってそれだけ心を許されている存在になれているのだと胸が高鳴ったのだ。
(だからかな、演技なんて自信なかったのにすぐに立候補しちゃったのは。それに……別の誰かが人魚姫役だったら、こうして真人と踊っているのはわたしじゃなかった)

途端。
それまで穏やかだった胸に鋭い痛みが走った。
誰か別の女の子と踊る真人のことを想像したら、苦しくなったのだ。
少し筋張った手が意外と男らしくて、ひんやりしていることも。
自分以外の誰かをこの瞳が映すのかと、思わず目を開けて真人の顔を見つめる。
「?」
きょとんとした顔。
でも、ふっと柔らかく微笑んだ。
(こんな、こんな一面をわたし以外の誰かが知るかもしれないってこと……!?)
その時に生まれた感情を何というのかわたしには分からなかった。
むしろ、もっと前から育っていた感情に気が付いただけなのかもしれないけれど。

「わたしを見て!!」

自分でも驚くほどの大声でわたしは叫んでいた。
同時に、口からカラフルな星の欠片が飛び出し海へと飛び込んでいった。
「!?」
あまりに立て続けにいろんなことが起きて、真人は目を白黒させていた。
「え、え~~っと……」
声が戻った喜びや安堵よりも、自分でも自分の言った事に動揺してしまっていた。
「……星の欠片みたいなものが海に飛んでいったのが見えました。元に戻れたみたいですね」
「う、うん」
真人の顔が恥ずかしくて直視出来なかった。
(ああ、人魚姫の気持ちをこんな風に理解することになるなんて。好きな人に自分を見てもらいたくて、他の人のものになるのが嫌で。ただただそれだけなんだ)
わたしを見て。
わたしだけを見て。
それは叫びたくて仕方が無かっただろう。
「演劇、良いものにしましょう」
すっと真人が手を差し出した。
ぽかんとしていたら、少し熱くなっている手に手を包みこまれた。
真人に手を握られていた。

「……見ているに決まってるじゃないですか。あんたが好きな飲み物だって、思い詰める性格だって。見ているから知ってるんです……伝わりました?」
海風に負けそうな小さな声で、真人は呟いた。
「うん……言葉にしないと、伝わらない事ってあるんだね。ありがとう真人。わたしもね、真人のこと見てるんだからね」
「……帰りましょうか」

手を繋いだ二人が海辺から離れていく。
海面は一瞬虹色に輝いたかと思うと、きらきらと瞬いた。
王子様と人魚姫を祝福するかのように。

本編っぽい二次創作、と依頼をしました。作家様には私からの資料やノベルゲームをプレイしていただいたうえで、すばらしい作品を仕上げていただきました。一花のまっすぐな性格、古荘が実直でいいヤツ、そして声小さいのがマジで癖です。こよみの園のメンバーが勢ぞろいなのも嬉しかった……その節は本当にありがとうございました。
2024.04.23

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