四季の暦のログデータ | momoiroHuman

四季の暦のログデータ

 まどろみ町立の共同生活施設「四季暦の家」。旧夢見郡にある、身寄りのいない子どもたちを一時的に預かるための場所──前町長の手により作られた、町で管理する建物の一つだ。
 その中にある、居住者やスタッフ皆が使える共有スペース。リビングのような扱いのこの部屋が、今日は珍しく一人の為に使われていた。

「ただいま……?」

 月が丘女学院から帰ってきた小百合が、目を丸くする。床一面に散らばった、様々な機械のパーツ。静電気除去シートや、見慣れない工具セットなんかも置いてある──邪魔にならない場所で座り込んで見ている英里や、ダイニングテーブルに向かうあめりや桃也を見るに、この状況を作ったのはこの施設唯一の小百合の同級生のようだ。

「あ。小百合ねーちゃん、おかえりー」
「おかえんなさい。手洗った?」
「うん! ……で、これ、どうしたの?」
「アタシがお願いしたのー。でも正直状況はよくわかんないからサ、真人に聞いて」

 あめり特製のシフォンケーキの残りを口に入れながら桃也が答える。よく見るとリビングのテレビがついているので、真人の作業とは別に、普段と同じように桃也のおやつ休憩が進行しているようだ。とはいえ彼に気を遣っているのか、音量はとても絞ってある。

「えっと……すごいことになってるね?」

 思わず、英里の隣にしゃがみこむ小百合。ここまで絶え間なく何かの部品を弄る音が続いていたが、やっとそれが止まる。渦中の人物である真人が、咥えていた工具を手元に戻しながら答えた。

「……おかえり。見ての通りです」
「ただいま! うーん、機械の……手術、みたいな? 須賀先生みたい」
「それはマジの医者だろ……そんな仰々しいもんじゃない」
「小百合ねーちゃん、おしえたげる」

 会話も束の間、別の工具に持ち替え作業を再開する真人。首を傾げる小百合を見て、声をかけてきた英里が「ぼく、ずっとみてたけど、真人にーちゃんがなにしてるのかよくわからないの。」と続けた。“教える”というのは、文字通り自分の感想を伝えたかっただけのようだ。

「そっかあ。オペ……じゃないなら、爆弾の解体とか」
「ばくだん……まえ、映画でみたやつ?」
「そう! さあ、赤い線と青い線どっちを切る? 失敗したら……ドカーン!」
「しません。あんたの想像力、危なすぎるだろ」

 やりとりを聞いてクスクス笑うあめりの心地よい反応を背に、小百合は改めて真人の手元を見た。太いコードや細いコード、色がついたものや見たことない形のものまで。「爆弾解体」なんて自分のからかいも、案外説得力がある気がする。不意に「……パソコンですよ」と真人が言った。

「僕のPCが自作なの、知ってますよね。院長、この部屋に共用のパソコン置きたいんだって」
「そ! パソコンほしい〜って稟議が通ったのよん。おやじ……元町長が設立した基金の話、前したでしょ? そのおかげでさー、割と潤沢な予算が出たわけ。せっかく今の“暦”にはパソコンわかるクンがいるんだから、しっかり働いてもらお〜と思ってね」
「なるほど、それで……」
「ハイスペックがご希望だそうで。……使い方がわかんないと、高性能すぎても困るだけって思うんですが」
「機械は新しい方が大体ヤバいって相場決まってんの! あとアタシ最近ショートカット? ちょい覚えたからナメんじゃないわよ」

 英里が立ち上がり、桃也の座るテーブルの方へ向かいながら「とーやさん、パソコンあったらフルーツそだてるやつ、できる? 学校のパソコンにね、はいってるんだよ」と話に行く。彼がいなくなった分の隙間を詰めるように、小百合はより興味深く真人の手元を見たくなり近づいた。そんな彼が手に取ったコードが一等太かったものだから、小百合は目を丸くした。

「大きいね……! それ、なあに?」
「何って、ケーブルだけど……」
「そ! それはわかるよ……!」
「……電源とか、データとか……。ん……まあ、要は血管みたいなもんです。パソコンの」
「血管……かあ」

 真人の例えが頭にストンと入ってきて、小百合はさらにじっと彼の手元を見やる。今まで知識がなくて、分かろうともしなかった無数の配線が、途端に生き生きとしているように見えた。それを真人の少年らしい手が、丁寧に束ねている。

「じゃあ、真人はいま命を作ってるんだ」

 何の気なしにそう言ったら、真人がぴたりと動きを止めてしまった。とはいえそれは一瞬で、またゆっくりと動き出す。

「……やめて、大袈裟すぎ」
「あはは、ごめん。あのね……わたしが持ってきたノートパソコン、お部屋でも使えるように真人が色々してくれた時を思い出したの」
「……もう、だいぶ前ですね。大したことしてないけど」
「ううん。陣内さんのお願いだったけど……真人がわたしに、はじめてしてくれた親切だから、覚えてるよ」
「別に、そんなんじゃ……」
「えへへ。わたし好きなんだ、そういうの……わたし以外の人が、わたしの知らないことを、一生懸命やってる……って、言えば良いのかな」
「……」

 不意にあはは、と桃也がテレビを見て笑う。英里は自分の席に座っており、切り分けられたシフォンケーキに目を輝かせていて──あめりは台所に立ち、そんな彼のためにジュースを注いであげている。
 全部、いつのまにか当たり前になった時間だった。そして小百合もいつのまにか、鞄をそばに下ろして真人の作業をにこにこ見守っていた。少し黙った真人だったけど、ほんのちょっと耳を赤くして、そっぽを向く。

「知らないなら、無理に見なくていいのに」
「わからないから見てたいの。真人の世界、ちょっとずつ知りたい」
「……すぐそういうこと言う」

 彼はまたひとつ、コードを繋いで小さく息をついた。少しだけ、青い瞳に小百合を映して──そして言った。

「そのうち、ちゃんと動くから」

 少し低い少年らしい声が、言葉の先に「任せて」を滲ませていた。その全部がなんだか嬉しくなって、小百合も「楽しみ!」と花が咲いたように笑ったのだった。

    ◇

 そんな「四季暦の家」には、中庭がある。とても大きいわけではないが、全員分の洗濯物が干せるし、小さい子どもならきっと動き回れるし、ちょっとしたガーデニングだって楽しめる──そんな空間だ。
 真人によるPC組み立てが進むある日、小百合はいつも通り、中庭に出ていた。町に沈む夕日に目を細めながら、花壇に水をやる。小百合が“暦”に来てから、この施設にあるあらゆる植物のお世話は彼女が受け持っていた。
 キッチンで、桃也が鼻歌を歌っている。今日の晩御飯はしょうが焼きだそうだ。良い匂いが鼻腔をくすぐる。英里は宿題をしていて、今日はミカドが手伝いに来ていた。

「ミカドさん、これ、かきじゅんちがう」
「へ? 書き順?」
「うん。かきじゅんがちがったら字がきたなくなるって、先生いってたよ。ミカドさんの字がよれよれなの、そのせい?」
「ええ〜?! そ、そんなの初めて言われたぞぅ……んん〜? なあ英里くん、おれどの書き順が違ってた?」
「えっとね、ぜんぶ」
「全部ぅ!?」

 ──聞こえてくる会話だけ聞くと、まるで英里が先生でミカドが生徒だ。そんな日常の音を背に、小百合は軒先の一部に優雅に絡まる蔓の世話をしていた。

「小百合さん……水やり、どうかしら」
「うん! とっても良い感じ。ユウガオはね、お水が大好きなんだ。もう少しあげてあげても、きっと嬉しいと思うよ」
「わかった……! ありがとう。えっと……小百合さんは、なにをしてるの?」
「芯摘みだよ、蔓をカットしてるの。こうやって、脇から新しい芽を出させてあげるんだ。お花をたくさん咲かせるための作業なんだよ」
「そうなんだ……」

 興味深そうにしげしげと見ているあめりによく見えるように、摘心の手際を見せる小百合。ある程度見届けて満足したあめりがアドバイス通り水やりを続けるのを見て、小百合は手を止め少し離れて庭全体を見た。日々のお世話の成果か、ユウガオの蕾がたくさん増えている。すっかり暑い季節なので、風通しにも気を遣っている──そろそろ開花も近いように見えた。

「……葉っぱのカーテンみたいだ」

 変わらず今日も組み立て作業をしていた真人が、庭を見てふと呟くように言った。彼らしいストレートな感想だ。くすりと、笑みが溢れる。

「そうだね。でも蕾が増えたでしょ。みんな、ちゃんと準備してるんだよ。見えないところで、綺麗に咲くために」

 そう言って、あめりの様子を気にかけながら他の花の手入れをする小百合を、いつのまにか真人は自分の作業を止めじっと見ていた。
 小百合は、いつでもどこかのんびりしている少女だ──そんな彼女が決まっててきぱきと動くのは、運動のときと、大好きな食事のときと……植物のために働くとき。水やりも、環境の整備も、土を整えるのも、虫を逃すのだってお手のものだ。あまり日焼けしていない肌を汚しながら、その作業を暦に来た時からひとり楽しそうにやっていた。

「慣れてますね」

 これもまた、ぽろりと溢れてしまった感想だった。それを聞いた小百合はどこか自慢げだ。

「お店でずっとやってたから。わたしも茨も、働きものだったんだよ。わたしたちが育てたお花のコーナー、お父さんが作ってくれてね」
「へえ……」
「わたしにとってのルーティンだったの。お花ってね、ちゃんと見てあげると、すごく応えてくれるんだよ」

 陽の光に照らされて、小百合の枯野色の髪が淡く輝いていた。彼女の輪郭が溶けているようだ。きっとその気持ちは今はもうない、焼き崩れた花屋と家族に向いていた。感情の乗った声が続く。

「たくさん観察して、いろいろ考えるの。お水、足りてるかな、とか。この子、日陰が好きかな、とか」

 噛み締めるように小百合は言っていた。どこか真剣なその姿に、真人は目が離せず、彼女の言葉の続きを待つ。いつの間にか小百合の唇も少しこわばっていたけれど、真人の視線に気づいて、ふにゃりと破顔した。

「人と、ちょっと似てるよね」

 少し細まった瞼の奥に光る翡翠色の瞳が、彼女をどこか人間離れした形に切り取っていた。
 小百合が時折見せる、どこか神聖な雰囲気を纏う瞬間。この時いつも、自分は黙ってしまう。今日も言葉を探すのに時間が少しかかって──でも、答えた。

「……あんたもそういうの、ちゃんと見てるんだ──」

 ……いつものように、ちょっぴり可愛くないことを。余計な言葉が多すぎた、とすぐ感じた、でも小百合は真人の顔を見て笑っている。

「うん、真人のことも見てるよ」
「は?」
「最近、ちょっと寝不足でしょ。さっき、何か間違えて首を捻ってた。休憩する?」

 全部図星だ。さっきまで、小百合に悪いなと少しだけ思っていた感情が吹き飛び、みるみる頬が熱くなる。昔から、自分が迷っていたり立ち往生してるところは、あんまり見られたくないのだ──でも。

「……っ、見てんなよ……」
「えへへ……だって大事だもん。ここにいるみんなが、ね!」

 悪意のない小百合の言葉に、また牙を抜かれてしまう。妙な間ができる前に、小百合があめりに「いい感じ! 今日はここまでにしよっか」と声をかけに行っていた。
 結局、また彼女の世界に巻き込まれてしまった気がする。──確かに、期限もクオリティも高いものを求められてはいないのに、完璧を、期待以上を、躍起になって目指していたのは事実だ。小百合の言う通りにするのは癪だが、ここまででも、まあいいか、と少し足を止めることにした。
 ちょうど良いタイミングで桃也に「配膳手伝ってー」と声をかけられたのもあり、子どもたちはそれぞれ共有スペースに集まったのだった。

    ◇

 「四季暦の家」ではお風呂の時間が決まっている。大体、19時から21時の間に済ませておかないといけない。年功序列もないし、明確な順番など決まっていない。ただ最後の人は、明日のために浴槽を掃除したりする。だから、みんな最後はほんのり嫌がっている。
 以前、それを聞いた同級生が「旅館みたいな?」などと言っていた。言いたいことがわかるような、わからないような。──ただ、今日は真人が最後だった。件のPCについて、自分の選択肢以上の良いパーツはないかと、ネットショップなどを見ていたら熱が入ってしまったのだ。彼は割と最後になることが多いので、順番が固定となっても別に良いと思っていた。
 タオルで髪を大雑把に拭きながら浴室の使用を終えた印となるマグネットをホワイトボードに貼ろうとして、テレビから聴き慣れたBGMがすることに気づいた。
 風呂上がりで少々ぽーっとしていた頭がみるみる冴えていく。良い意味ではなく──羞恥心的な意味で。

「この人、誰だったっけ?」
「フィカス大佐だよ。たくさん武器つかって、すっごくうっていっぱい当てるんだよ」
「わあ、今からアスタ少尉と一騎打ちするんだよね? 勝てるのかな……」
「うん。わくわく」

 聞こえてくる会話に前につんのめりながら共有スペースに突っ込む。半年前にやっていたスペースオペラのロボットアニメが居間のテレビを独占していた。その前には体育座りで座る英里と、少し足を崩しリラックスした姿で紙パックのりんごジュースを飲む小百合がいる。
 前述通り、半年前に全話の放送が終わったアニメだ。再放送の予定なんかも知らない。なんなら、ネット上の通ぶりたい人たちの間で「過去の名作を彷彿とさせるオマージュネタが豊富」と盛り上がっていたややマイナーなタイトルだ。アニメオタクとして「これをリアルタイムで見ていた」と誇れる程度のもの。アニメに疎い人が好んで見るものじゃない気がする。

「あ、真人。このアニメおもしろいねー」

 のうてんきな小百合の声に、まるで悪びれる様子はなく──英里の姿があったし、大方、どうしてこうなったのかなんとなくの察しはつくが、一応形として尋ねた。

「……それ、どっから……」
「英里がつけてくれたの。続きが見たかったんだって」
「“さぶすく”だよ」
「そうそう、サブスク」

 ある動画配信サイトのサブスクリプションの、ファミリープランを契約しようと言い出したのは意外にも桃也だった。“暦”の家長となって以降、すっかりテレビの番人になったと語る桃也は、様々なテレビ局のドラマをはしごすることを楽しみにしている。いわく、CMで見逃し配信のことを知ったらしい。

「アタシがガキの頃やってたドラマもあるじゃない! うわなっつ! 名取くん若っ! 可愛いッ!! そうそうこのチャリの乗り方マジで流行ったのよ、ほらイカすカマハンに足引っ掛けて……アタシの友だちこれで事故してサ」

 桃也の思い出話は真人たちにとってはややジェネレーションギャップにあふれていたが、サブスク契約に対しご丁寧にこれにも書類を準備して、稟議を通したらしい。
 元町長であり「まどろみ町・青少年育成基金」を立ち上げた張本人である徹は、「数百円ぽっちならてめぇ、自前で出したりゃいいじゃねぇか、桃也」と言っていたが、我らが施設長は「皆で使うなら公費だろうが!」と言って聞かなかったとか。
 もちろん子どもたちも使って良いとのことで、真人はそういった仕組みに疎い同居人たちを差し置いて抜け駆けし、こっそりアニメを見ていたのだが。以前英里が自室に遊びに来た時に、流れで一緒に視聴したアニメこそが、現在居間のテレビ画面を独占しているロボットアクション作品だった。
 確かにあの時英里に、何の気なしに動画再生までのプロセスを見せた気がする。さすが育ち盛りの小学生だ、飲み込みが早いのか──

「ハルにね、お願いしたの」

 英里がメモリアを見せながらそう言ったことで、真人の納得は現代人に寄り添う文明の利器への感心に変わった。HALは、メモリアに内包されたAIアシスタントの総称だ。
 映る場面は物語の半ば、主人公の少々へなちょこな、心優しい軍人が、互いの所属先を知らずに仲良くなった敵軍のエースである若き大佐と、様々な葛藤を胸に激しい攻防を繰り広げるシーンだ。
 ここ、熱いんだよな──諸々の事情より、好きな作品の展開に思考が揺らぎかける。腰を下ろすか迷っていると、小百合が少しスペースを作ってくれた。そして、言った。

「……さっきね、なんだか少しえっちなお風呂シーンがあったよ。英里には、ちょっと早い気がするけど……。」

 どこか照れた様子の彼女に、真人は「ば」と派手に口籠る。……いや、そこはメインじゃなくて。むしろ若干ノイズな描写で。でも可愛いヒロインって大事だし。そもそも僕は英里にそれをメインに見せようとしたわけではなくて。なんなら、アニメは嗜みではなく分析みたいなもので──言い訳じみた叫びが逡巡する。でもそれらが口を突いて出る前に、小百合は続けた。

「でもかわいいね、この子」

 呆気に取られる真人をよそに、画面では戦いが続いている。例の「かわいい」ヒロインのため、負けられない戦いに主人公が奮起していた。機体の変形シーンが派手で格好良く、「TVシリーズとは思えない」と評価されていたシーンだ。

「……あ、この音楽……」

 テレビに夢中になっている英里を妨げないようにか、囁き声で小百合が言う。

「この音楽、ドラマチックな場面でよく流れてる。すごく好き」

 ──興味が勝ち、真人はすっと小百合の隣にしゃがみ込んだ。

「……そういうの、わかるの」
「うん、うまくいえないけど……なんか、ドキドキする音だね」

 ──同居人相手に今おべっかを使う必要はないし、小百合は嘘があまり得意でないのも、よく知っている。でも、こういう、ちょっと言葉にしにくい感性を、表現してくれる機会はどこか貴重だ。言葉の意味を少し噛み締め、真人は答えた。

「……劇伴がいいんです。このアニメ。作曲担当は、ノエシスにも曲提供してる」
「ノエシス……って、メモリアのアプリだよね? あの、かっこいい音楽ゲーム」
「ん……サントラ、中古市場で高騰してる……キャラデザも、評判よくて。パイロットスーツのデザイン、結構複雑なんだけど、作画安定してるし……ロボットの部分は、3Dモデルなんだけど、しっかり馴染ませてあって……構図がダイナミックで」
「うん……!」
「マイナータイトルだけど、隠れた名作って感じで……脚本も……」

 何度も観てしまった作品だから、解説に熱が入る。自分の好きなところを、並べてしまう。小百合は真人の話に何度も頷き、楽しそうな英里を見たり、ドラマチックな展開を見せる画面にも目をやっている。そんな彼女の振る舞いにちゃんと目がいったのは、好きな点を散々捲し立てた後で。

「へえ……そうなんだ……!」

 無邪気に瞳をきらきらさせて、嬉しそうな小百合が、しっかり目に入って。真人は途端に羞恥心と──罪悪感に襲われる。もとより、自分の内心を他人にひけらかすのが苦手だから。こういう側面は極力隠してきたつもりだった。流暢に語っていた口から「あ、」と声が漏れた。音を失って少しぱくぱく揺れた口元に連動するように、みるみる頰が熱くなる。
 テレビには、エンドロールが流れていた。

「好きなんだね」

 嬉しそうににこにこしている小百合が直視できない。左手が勝手に自分の口元を覆う。迷わず次話の視聴を選択している英里にも、いつの間にか定位置であるダイニングテーブルの前に座って、こちらを気にせず家計簿の計算を始めている桃也にも、繕うゆとりが保てない。ただ、自分の理想とする振る舞いから大きく逸脱していた事実が恥ずかしくて狼狽えているのを、小百合が人が良い顔で見守っている。
「べ、つに」と、バレバレの否定をするのでいっぱいいっぱいだ。

「もっと教えて。わたしも知りたい」
「………………恥ずかしい、んですけど──」
「どうして? 好きなものがあるって、素敵だよ」

 ぐうの音も出ない、とはこのことだろうか。風呂に入ったばかりなのに、もう全身に汗をかいてしまっていそうだ。しゃがんでいた真人の腕を引っ張り、小百合が隣に座らせる。こういう時の小百合はとても強引で、力強い。

「ねえねえ英里、アスタ少尉の乗ってるロボットってなんて名前だっけ?」
「えっと……アストロビット。小百合ねーちゃん、みてた? フィカス大佐かっこよかったし、しななかったよ。うれしい」
「うん、主人公さん、敵にもずっとやさしいもんね。しかも味方になってくれるんだ……あ、エルちゃんもパイロットになるの?」
「うん……エル、“かくされたちから”があるって」
「ドキドキだねえ。ねえ、わたし思うんだけど、エルちゃんはじつは、人間じゃないんじゃないかな……?」

 会話の中で、こちらを伺ってくる小百合や英里。もう、言い淀んだり格好つけても仕方ない。むしろ、ここで流れを堰き止める方があんまりだ。「ンン」と喉を鳴らして、真人も準備を整える。
 子どもたちの間でアニメの談義が始まるのを見守っていた桃也は、「ねーえ、アンタたち11時までよ。アタシも名取くんのドラマ観るんだから〜」と家長権限を行使するのだった。

    ◇

「……点けますよ」
「うん」

 ユウガオの葉で出来たカーテンの隙間から、四季暦の家に朱色の光が伸びている。
 赤く照らされるホワイトボードには、「英里とあめりを拾ってそのまま買い物 晩ご飯当番→小百合 ミカド19時から」と、桃也の字で大雑把に書かれている。カラスの鳴き声や、揺れる木々の音が届く夕暮れ時の共有スペースで、真人がパソコンの電源ボタンに手をかけた。小百合はその隣で、息を呑んでいる。
 決して派手ではない。──ただ小さく、スイッチが入る音がして、ブゥン、という低い響きが続く。ぱあっとモニタに光が灯り、並んで見守る小百合と真人の顔を照らした。

「わあ……! 動いた……」
「……ん。問題なさそう」

 一から組み立てたPCの正常な起動を噛み締めるのも束の間、動作の確認や、OSの設定を始める真人。テキパキとした動きに、小百合は彼の手元と彼の横顔、そして画面を見やる。何をしているのかはわからないけど、真剣な真人の顔をこの距離で見ることはあまりない。絶え間なく何かを打ち込み、マウスを動かす。カタカタ、カチカチという音がどこか心地よい。
 ある程度の作業を終えたのか、真人が椅子の背もたれに寄りかかる。キィ、と音がするこの椅子も、デスクと合わせて予算で買ったものだ。小百合はその隣にダイニングの椅子を持ってきて座っていた。背もたれが柔らかそうな新しい椅子に、自分もいずれ腰掛けるのかな。そう思いながら、小さく息をつく真人に言った。

「すごいね、真人。これ全部、真人が作ったんだ」
「……だから、大袈裟ですって。パーツ、組み立てただけだし。プラモみたいなもん」
「わたし、こんな精密そうな機械、怖くて触れないよ?」
「慣れ。落ち着いてやればあんたも出来るよ」

 淡々と、素直な言葉を返される。彼の少し低い声が、空気に溶けるようで心地よい。彼の朱色の髪色は、夕暮れと一緒で暖かかった。小百合はほんのり、目を細める。

「……いいなあ」
「何が?」
「形に残るもの、作れるの」

 ぽつり、と溢れた。町の喧騒が、どこか遠くに聞こえる。でも真人が耳を傾けてくれているのがわかって、小百合は安心して続けた。

「わたしね、最近考えてたんだ。暦にいられるのは、18歳まで──将来、どうなるかなんて、まだわからないけど……いまのメンバーで、最初にいなくなるのはわたしか真人でしょ」
「……うん」
「お花は、枯れちゃう。でも、こういうのがあれば──思い出って、ちゃんと残るのかなって」

 しばしの無音。椅子の背もたれに体を預け、ぼんやり画面を見ていた真人が姿勢を正す。そのまま、小百合を見る。青くてきれいな瞳、と小百合はよく思う。

「残りますよ」
「……ほんと?」
「データも、記録も──記憶でも」
「……」
「忘れないようにすればいいだけ」

 ……なんだか、どこか懐かしい言葉に感じた。わたしの、誰よりも大好きな“あなた”が、かつて似たようなことを言っていた。
 こんなにも暖かくて、優しいのに。「」を想ってちょっと寂しくなったから、小百合は胸をいっぱいにしながら微笑んだ。

「わたし、覚えてるね。まどろみ町に帰ってきてからの、春と夏と秋と冬と。いま、ここでパソコンが動いた瞬間も──」
「…………、辛気臭いんだから」

 そう言って、真人は控えめに小百合の頭に触れた。かつて実の妹を元気つける時、そうしていた。だから彼女にも、そうしたくなった。
 小百合の髪は月の光みたいで、やわらかい。さり、と数秒撫でただけでも、小百合の表情がほのかに色づいたのがわかる。いつも照れ隠しに口元まで引っ張っていたネックカバーがないことに気づいて、少し恥ずかしかったけど──今更か、と思った。

「──部屋、暗くなってきたし電気つけるよ。あんた、今日夕飯当番だろ」
「……あ。わすれてた……!」
「前々から言われてんのに、一つも準備してなかったら……院長、怖いですよ」
「あわわ……わかってるってば。でも、献立は決めてたから大丈夫……今日はハヤシライスだよ。学校終わってすぐご飯は炊いておいたから、あとはソースと付け合わせをつくるだけだもん」
「そ。……じゃ、よろしく」
「真人は?」
「──これ、まだ最低限の設定しか出来てない。皆が帰ってくるまでに、誰でも使えるようにしとく」
「そっか! 楽しみ〜」

 自分用のエプロンを着ながら、少し音の外れた鼻歌を歌う小百合。かつて同居人みんなが首を傾げた彼女のとぼけた歌声にも、馴染みを感じるようになっていた。小百合がキッチンに向かうのを確認して、時計を見やる。そろそろ桃也たちも帰ってくるだろう。ペースを上げよう、と真人もPCに向かった。

「…………僕だって」

 覚えてるね、と小さく言った小百合に、真人はまだしっかり返すことはできなかった。彼女とその未来に無闇な約束が出来るほど、自分に自信なんてない、けれど。今は届かなくても、溶けていくとしても、きっと口に出すのが大事だと思った。

    ◇

「あら、古荘さん!」
「まあ……こんにちは」

 月が丘女学院と、夢見学園のある方向は真逆だ。でも、待ち合わせには意外と困らない。ちょうど帰り道が重なる地点に路面電車オービットの駅があって、その周辺は道が単純なのもあり、集合場所に使いやすいのだ。
 今日は放課後、ふとメモリアを見ると小百合から連絡が来ていた──『一緒に買い出しに行こう』とのことだ。暦の買い物当番は、基本的には英里を除く子どもたちで回していて、小百合かあめりが行く時、真人は大体荷物持ちだ。桃也本人が行う時はボーナスタイムのように扱われている……なぜかというと、同行した子どもたちは欲しいものを直に交渉できるからだ……お菓子とか、ジュースとか。
 そんなこんなで駅近くの小さな時計塔の前にやってきた真人を出迎えたのは、小百合の同級生であるあやめと巴だった。小百合を含め、この三人はいつでも仲良しだ。
「……どうも」と軽く頭を下げる。彼女らは真人も知らない仲ではない。ただ、呼び出した小百合本人がいないとはどういう了見だろうか。

「小百合さんなら、きっともう少しで帰ってきますわ。そう怒らず、お待ちになって?」
「……え。いや、怒ってないです」
「ふふ。古荘さん、眉間に皺が寄ってます。せっかく待ち合わせたのに、小百合ちゃんがいないのは困りますよね。私たち、小百合ちゃんの代わりにここに立っていたんですよ」
「……なるほど? で……その花縁はなのえは、どこに行ったんですか」
「あちらですわ!」

 駅から見える建物の一階には、小さめの100円ショップのテナントが収まっている。あやめが指差したその直後、入り口から小百合が出てきた。

「──あ、真人もう来てる! ごめんねみんな、お待たせー」
「まったくですわ! それで、お目当てのものは買えましたの?」
「うん! 背抜きグローブと、ちっちゃめの園芸鋏……わたしが使うんじゃないけど……でも見て、よくできてるよ」
「ううむ、近頃の百均はクオリティが上がってますわね。きっとおもちゃもそうだわ……また視察に行かねばなりませんわ!」
「うふふ……素敵な心がけ。私も欲しいものをメモしておくので、ご一緒していいですか?」
「え、わたしも行きたい! 今日のとは別で!」
「まあ! お二方とも……! もちろんですわ。情報収集に力をお貸しくださいまし! ……それに、私も普通に欲しいものがありますの。やはりコスパが良いと助かりますわ!」

 ──真人が観測している範囲でも、いつもこんな感じでわちゃわちゃ交流しているようだ。ひとしきり三人ではしゃいだあと、「さて、合流もできましたし私たちはここでお暇しますわ!」とあやめが言う。

「そうですね、電車の時間もちょうど良いです。では小百合ちゃん、また明日も……学校で」
「うん、ありがとう!」
「お写真見せてくださいましね?」
「もちろん、綺麗に撮るよ!」

 遠く離れていくふたりに手を振る小百合が落ち着くまで見守る。振り返った彼女が申し訳なさそうに言った。

「ごめん、真人! 待ってる間、欲しいものを思い出したから買いに行ってたの」
「わかったから、大丈夫。このまま買い出し行くんだろ」
「うん。陣内さんメモがあるから待ってね」

 メモリアを取り出して、仮想液晶にメモを表示させる小百合。それを程々に見つつ、真人は尋ねた。

「……なんで、グローブと鋏?」
「あ、これね。あめりと英里ときみの分」
「は?」
「多分、今日くらいから、ユウガオが咲くと思う。咲いて枯れて、そしたら、その少しあとは実ができるから……みんなで収穫したいなって」
「え──実とか成るの」
「そうだよ! ウリの仲間だもん」
「……アサガオとかじゃなくて?」
「アサガオの仲間は、ヒルガオとかヨルガオだよ。ユウガオのお花、よく見てみて。花びらがちょっとしわしわしてて──カボチャのお花に似てるかも。お花屋さんにあるユウガオって、大体ヨルガオなんだよ」
「へえ……」
「ユウガオの実も、おいしいんだよ。柔らかい味……みたいな。お味噌汁とかに入れたいね」

 やっぱり、植物の話をするときの小百合は生き生きしている。実を食す話もあいまって、楽しそうだ。とはいえこちらは想像が全然頭に浮かばないから、あとで調べてみようと思いつつ彼女の話を聞いていた。小百合は前々から自分用の園芸道具を一通り持っていたから疑問だったけど、収穫に備えわざわざ暦の同居人の分を臨時で買い揃えたようだった。

「だから、きっと綺麗に咲いてるユウガオを一緒に見ようね。写真を送る約束、あやめとしてるの。きっと実もできる、と思う。お世話もがんばったし。みんなも手伝ってくれたから」
「……それは見てたから。わかる。大丈夫」

 そう、ずっと、見てたから。つい気持ちが乗って、ちょっと食い気味に、希望的観測を口にした。気恥ずかしくなるより先に、小百合が「ありがとう!」と笑顔を見せた。

「──本当に、お花って不思議。似てるけど、違う種族がたくさん。色も形も大きさも、育つ形も時期も、全部違って、でもみんな、“お花”で──ね、真人。生き物って、すごいね」
「…………ん」

 ──ああ、やっぱり、眩しい。
 月の輝きは、太陽の光を反射したものだと言うけれど。何も見えない夜の闇で、先を照らす道標になるのは、他ならぬ月光だ。
 なんとも言えない気持ちが胸を掠めて、真人は目を細める。それを知ってか知らずか、小百合はたまらず走り出した。

「ちょ」
「真人、スーパーまで競争! わたしが勝ったらみんなに内緒でアイス買って!」
「な……てかあんたの足に勝てるわけ、」
「ずっと座ってたら体に良くないよっ、運動運動! よーい、スタート!」
「もう走り出してんじゃん、待てって……!」

 あはは、と彼女の心地よい笑い声が帰り道に響いた。──追いつけるわけ、ないけど、たまには本気で走るのも──そんなことを思うようになるなんて。ほんの少し前の自分では、想像もつかなかった。

    ◇

「小百合ねーちゃん、きれいに撮れた?」
「ばっちり。見てみる?」
「見るー」

 小百合の予想通り、緑のカーテンがいくつもの可憐な白い花で飾られていた。前まで、ここまでの数の蕾は無かった気がする。小百合の地道な作業が実を結び、この光景に繋がったのだ。
「こうして見ると、迫力あるわねえ」とは桃也。ミカドも「なんかわくわくする!」と嬉しそうだ。
 あやめに送る約束の写真をメモリアで何枚か撮っていた小百合は、画角に入ってきた英里とユウガオのツーショットも撮り、彼に見せてあげていた。

「すごいな。立派に咲いて」

 少し離れた場所で見ていた真人は、隣に座るあめりにそう言った。彼女も感慨深そうに何度も頷き、「素敵……」としきりに呟いている。

「あめりもお疲れ様。ガーデニング」
「え、あ……! あの、私、大したこと、してないわ……小百合さんに教えてもらって、お手伝い、してただけ。……あの、真人さん」
「ん?」
「──この未来が、私、見えなかったの」
「……それは……」

 あめりは、第六感による予知のちからを持っている。暦の住民は、彼女がそのせいで今までたくさんいらない苦労をしてきたことを知っていた。あまり、こちらから触れることはしない話題だけど。何かあるたびに予知の結果を伝えてくれるのは、あめりがいままでそればかり求められてきたことを表しているかのようで。
 だけど今日のあめりは、嬉しそうだ。

「いつも、ゆっくり、降ってくるけれど。お花に関しては、何にも──どうなるんだろう、どうなるんだろうって、ずっと思ってて──きっと、絶え間なく、人や自然が干渉するから……人の未来よりずっと、短い期間で、努力の積み重ねが結果を変えるから──」
「……」
「小百合さんが、お花を育てるのが好きな理由が……私、少しわかった気がする。とっても素敵な、趣味だと思う」

 いつも曖昧だったあめりの微笑みは、すっかり年頃の少女のものになっていて。うん、と真人が柔く頷くと、彼女も小百合たちの元に駆け寄って行った。

「ね、アンタも変に黄昏れてないではしゃぎに行ったら〜?」

 不意に桃也にせっつかれる。──黄昏れてるつもりはないのだけど。

「イヤ……僕、世話してないし。ここから見てるだけで、十分です」
「そういうとこよ……一歩下がって兄貴風」
「……そんなんじゃ……」
「アタシも上だったからなんとなくわかるけどサ。上が下を心配してるみたいに、下もケッコー上の反応見てるわよ。別にさ、しっかり関わってなくても“家族”のことなら、手離しで喜んでも良んじゃない? ……少なくとも李王は、アタシがなんかする度に大はしゃぎだったケド」
「……ぐ」

 なんだかその様が、容易に想像できる。うるさいけど、楽しい様子が。別に自分は、わざと一歩下がってるわけでも、兄貴風吹かせてるつもりもなかったんだけど──なんなら、微笑ましく見守ってるつもりで。
 ……おかげで思い出してしまった。今よりもっと、子どもの頃の記憶。普段あまり自分の意見を言葉にしない実の弟が、ほんの少し、不安そうな顔で。

『兄貴、……たのしくないの?』

 そのときも、そんなことない、楽しいって返したけれど。自分と瓜二つの弟の表情は晴れなかった。
 ──今も自分の中には、無数の後悔が雪のように、積もっているんだと思った。楽しかった記憶より、あの時弟を安心させられなかったことの後悔の方が、ずっと刻まれているのだから。
 意を決してゆっくり立ち上がると、視界の端の桃也がニヤリとした。

「うっしミカド、スイカ切るわよ! 手伝いなさい!」
「あえっ? スイカ?」
「皿よ皿、こないだもらったあの大皿。あと種とか避ける袋もちょーだい、早くする!」

 意味なく急かされ慌てふためくミカドの姿が見なくてもわかった。それに、驚かなくなったのもいつからか。

「あ、真人! ……待ってたんだよ?」

 ただ自分が来ただけなのに、小百合が宝物みたいな笑顔で自分を見て。なんとなくポケットから出した左手は英里に握られる。「あのね、こっちのお花がおっきいよ」と、手を引かれた。

「ほら、見て」
「…………ん。立派」
「真人も、写真撮る?」
「……それはいいかな……」
「じゃあ、手だけ。どう?」
「手なら、まあ」
「やった。あめりもおいで!」
「あのね、みんなの指でお星さまみたいにするの、まえ、テレビでみたんだよ」
「お花を指のお星さまで囲むの? あはは、ロマンチック。あめり、こっちこっち」
「……おてて、足りない? ぼく、両手つかっていい?」
「──で、誰がシャッター切るんですか」
「あ」
「……僕でいいか。両利きだから」
「あはは、なあにそれ」

 誰も、メモリアの浮遊機能には触れない。意味なくじゃれ合うことを、心地よく感じていたから。互いの間でやさしい言葉が交わされる事実を、好ましく思っていたからだ。
 四人の中で一番体格が大きい真人が、少し頑張った体勢で、四人の手を写した写真を撮る。メインの被写体であるはずのユウガオの花も、指でできた星の向こうで、日暮れの風に揺れていた。

「──ね。準備してたでしょ。見えないところで、ずっと」

 写真を見てはしゃぐ英里とあめりを見ていたら、隣にいた小百合がそっと囁いた。「綺麗に咲くために」……以前、彼女が言っていたことを思い出す。──斜に構える必要も、照れる理由もない。深く頷いた。
 さっきあめりが言っていたことだって、なんとなくわかる。小百合はいつも、のんびりしてて、ぼんやりもしてて。だけど大事なことを、人一倍噛み締めている。

「──こういうのって、あんたっぽいな」
「え?」
「ゆっくりでも、のんきでも、気づいたらちゃんと、大事なこと……やってるから」
「……それ、褒めてくれてる?」

 そう言って、照れくさそうに笑う小百合。年頃の少女を花に例えるなんて、あまりにキザだし、ポエティックだ。──だけど、花は誰に見られずとも綺麗に咲いて、いずれ枯れて。……自分にだって、思うことはたくさんある。本当の意味は、伝わるはず。

「……まあ、たぶん」

 褒めてくれてる? というからかいにそう返す。やっぱりずっと、素直ではいられない。だけど、きっと今はこれで十分だ。

    ◇

 数週間後、皆でユウガオの実を収穫した。小百合が言っていた通り、味は淡白で、クセが少なくて、暦の食卓でも好評だった。
「また食べられる?」という英里の無邪気な問いに、小百合が言う。

「ユウガオは、来年は別の場所に植えないとダメなんだ。同じ場所だと、病気になりやすいんだよ。この間、枯れたユウガオの整理をしたから──いまは土も、おやすみ中だね」

 また機会があれば、と笑う彼女はそのまま続けた。

「そういえば、花壇に次のお花を植えようと思って、コスモスの種を買ってきたの」
「コスモス?」
「そう、丈夫だから、きっとお世話もしやすいよ。ね、あめり、近いうちに一緒に蒔いてみない?」

 小百合に誘われて、あめりは予想していなかったのか、穏やかな瞳をまん丸にしていた。少しだけもごもごとしたあと、「……いいの?」と控えめに尋ねる。

「もちろん! あのね、ユウガオが立派になったのは、あめりが手伝ってくれたおかげだよ。もし、あめりが嫌じゃないなら、コスモスも一緒に育ててみたいなって……どう、かな?」
「あ、う…………うれしい。私、たくさんお花が咲いて、嬉しかった……から……」
「えへへ」

 みんなのことを見てる、と言っていた彼女だから、あめりがガーデニングに好意的な感情を持っていることに、気づいていたのだろうか。

「ぼくもまぜて!」
「うん! 一緒に育てよう」

 英里にもそう言われて、小百合はとっても嬉しそうだった。彼女の「姉らしさ」も、ずいぶん板についてきたように見える。「小百合、いつものは?」と不意に桃也にいたずらっぽく言われ、小百合は「あ! えーっと、秋のお花もとってもきれいですよ?」と答える。
 曰く、暦の植物王(桃也談)となった彼女は、新しい花や植物を暦にお迎えする度、桃也に「こんなふうになって素敵です」とプレゼンテーションをしているらしい。側から見ると妙なやり取りだが、これも彼らのコミュニケーションの一環だと思うと、微笑ましい。
 言葉通り──夏が終わる前、小百合が用意していた新たな場所に、子どもたちで種を蒔いた。メインの世話は変わらず小百合だが、あめりや英里もすこし植物を気にかけるようになって──秋が来た。

「……小百合さん、このお花……」

 ある日あめりに呼ばれ、小百合はコスモスの花壇を覗き込む。すこしふやけたような茎の根元や、黄色っぽくなった葉の色を見て、土を触りながら、眉を下げた。

「根腐れ……かも。お水、あげすぎちゃった?」
「……そう、かも……。最近、私は毎朝」
「ぼく、学校からかえったらあげてた」
「そっか……ありがとう、コスモスのこと、たくさん気にしてくれて。ごめん、テスト週間の間、わたしじっくり見られてなかった……」

 自身の確認不足を反省しつつ「大丈夫!」と言う小百合。「土が乾いたら、悪い部分をとるね。心配しないで──早く気づいて、すごいよ!」とあめりに目線を合わせているが、彼女は変わらず、心配を滲ませた表情だ。

「ごめんなさい……」
「ううん、なんにも悪くないよ。お花だって……ふたりがわたしの趣味に付き合ってくれて、とっても嬉しい!」

 彼らのやり取りを窓辺で見ていた桃也が、「今日サ、でっけぇカボチャもらったからシチュー作ったげる。日ィ落ちると冷えてくるから部屋戻ってらっしゃい」と声をかける。すっかり秋の空になって、肌寒くなってきたのも事実だ。「先に戻ってて」という小百合が気になって、部屋に戻るあめりたちと入れ違いになる形で、真人が庭に近づいた。

「あんたも入んなよ」
「うん、すぐ行く──えへへ、水はけとか、もっとよく出来るかなって思って」
「……なんか、手伝えることある?」
「だいじょうぶ──なんだけど、うん……あのね、当番表とか、必要かなって……中庭の、お世話表……いつお水をあげたか、記録できたらわかりやすいかなって……嫌かな。迷惑かな?」
「ネックはそこ?」
「……うん……」
「──何に書くかにもよるけど、毎回手書きは確かに手間かもしれませんね」

 そう言って、思いつく。小百合が困ってるからとか、あめりが落ち込んでるからとか、そういうのもあるけれど。──多分、今この場にいる自分にしかできないことを。

「……ログ、取れればいいのか」
「ログ?」
「ン。少し、時間ください。なるべく早くする」
「え? ──うん、わかった!」

 何をするの、とは聞かない。小百合はいつもそうだ。こちらが何かを決意すると、何も言わず、背を押して、待つ。そのせいで不幸な目にも度々あっているのに、改めない。──それが自分にとっては、この上なく心強くて。
 こうして真人は、すっかり皆の大事な共有物となったPCに、しばらく向かっていた。──組み立て前、桃也の「ハイスペック」を主張する注文に、宝の持ち腐れなんて言ってしまったけど。

(アリ、だったな)

 自分の複数の要望を受け、静かに回るファンを見ながらそう思う。このPCだって、曲がりなりにも自分で一からカスタマイズしたものだ。きっと、うまくいく。

    ◇

「これが水をやった時間で、ここは日照時間、こっちが平均気温。全部記録して、状態と照らし合わせてる」

 学校から帰ってきて、暦の共有スペースのPCの前に揃う。画面を指差す真人の淡々とした説明の間も、小百合の瞳は爛々と輝いていた。とても嬉しそうに、邪気なんてひとつもなく。つい、「気象情報とかは、HALと連携して収集してるものだから──完璧に正しいかは、ちょっと怪しいけど」と口を滑らせる。

「きっと大丈夫! ハルはいいひとだもん。すぐさぼるし意地悪だけど、自分のお仕事に誇りを持ってる、とってもすごいAIなんだから」

 まるで「ニンゲン」のように、小百合に複雑な想いを向けているらしい彼女(?)が聞いたら、甲高い音を出して頭を掻き毟っていそうなセリフだ。
 ──正直、自分が今回の事柄に取り組んでいる間も定期的にうざい通知で茶々を入れてきていたから……ざまあみろと思うけど。
 話題が逸れてしまいそうだったから、軽く咳払いして「とにかく」と続ける。

「視覚的にわかりやすいグラフで見たいなら、こっち。ワンタップで切り替えられる」
「わあ……! すごい。ねえこれ、線がぴょこぴょこしてる!」
「ん。これは水やりのタイミングと、花の元気さの関係値の予測……あんたがざっくりメモしてきてたのが、役に立ってる。それも反映させたから──多分、ここらへんじゃないですか。今回の不調のきっかけ」
「……はああ」
「──みたいな。暦の、植物管理ソフト……ローカルな環境限定だけど、ここで使う分には差し支えない、と、思う」

 正直、デザイン面に自信はない。プログラムとしては扱いやすい自負があるが、ものすごく素っ気ないUIだ。説明を終えた流れで、つい小百合から目を伏せてしまう。彼女が言う。

「……この間ね、腐っちゃった根っこを剪定したり、植え替えたりしたから……コスモス、元気になると思うんだ。この水やりチェックのとこ、すっごくわかりやすい。みんなきっと、お世話がもっと楽しくなるよ」
「──なら、いいけど」
「ありがとう……ほんとに。真人、魔法使いみたい!」
「……だから、大袈裟ですって」

 また少しだけ、沈黙があって。

「大袈裟じゃないよ。ねえ、こっち見て」

 やさしい声で彼女が言った。抗えない引力に引き寄せられるような、だけど不思議と心地よい感覚。逸らしたくても、引っ張られる。

「……」
「いま、わたしが何考えてるかわかる?」
「…………わかんないよ。わかるわけない」

 翡翠の瞳が、僕を見ている。月が、地上を見下ろすように──だけど相手は、人間だ。自分と同学年の、花を育てることが好きな普通の女の子。
 だから。

「でも」
「うん」
「…………喜んでくれてたら、嬉しい」

 ゆっくり言葉を切り分ける。かつて弟妹にうまくできなかったことを、反省しながら、噛み締めるように。もう一度「ありがとう」と言って、小百合も深く頷いた。自身がうまく切り出せなかった思いを汲み取ってくれた、真人のことを尊重するようだった。

“人の気持ち 大事にしすぎても”
“だめなときがある…”
“お花と同じ”
“頑張る”
“ちゃんと見てれば わかるはず”

 小百合がガーデニングのことをまとめていたメモを拝借したとき、そのメモの後ろの方のページに、そんなことが書いてあった。植物関係の走り書きとは関係ないところにあって、きっとメモを貸してくれた本人も忘れてしまっているんだとわかったから、見てしまったことを申し訳なく感じたけれど──丸くてやわらかい彼女の字で書かれた素直な気持ちは、あまりに剥き出しすぎて不安になるほどで。
 帰ってきたあめりや英里、桃也やミカドにも、嬉しそうにソフトの説明をしている小百合。今のこの日常に、自分も何か──前向きな感情を、加えられただろうか。……負の感情で得た技術でも、いつでも、いくらでも、誰かを支える方向に、活用できるのだと──この町に来て、知ることばかりだ。

    ◇

 花開き揺れるコスモスの周りにも、ゆっくりといろんな植物が増えていった。少し肌寒くなってきた中で、今日も学校から帰ってきた小百合が制服姿で変わらず庭を手入れしている。

「ただいま」
「あ、おかえり! 早かったね」
「そっちこそ。……今組んでるプログラム、早く弄りたくて」
「家計簿のやつ? 陣内さん、欲しい機能たっくさん伝えてたもんねえ」
「ホントだよ……あんな無茶振りばっかの人が、マジの上司とか、クライアントだったら……嫌になりますけど」
「なに言ってるの、未来のSIA職員さん」
「うわ。それ、あんま言わないで……」
「あははっ、ごめんね。とにかく、我らが院長さんのお願いだもんね……頑張ってね!」

 今日ははやく終わったから、と語る小百合の手つきは変わらず慣れたものだった。真人が自室に鞄を下ろし、ルームウェアに着替える間も、せっせと作業をしていたようだ。
 リビングに戻って、ふと気になって「着替えないの?」と投げかけると、小百合は「着替えるのも惜しかったの!」なんて返してきた。

「今日のお手入れ、おわりー! じゃあ今日の分、記録して……と」

 小百合がメモリアの仮想液晶を浮かせ、タップする。例のソフトは、あれからほんの少しだけデザイン面をテコ入れした。とはいえ変わらず質素な作りだが、小百合は「これがいい」とお気に入りの様子だ。
 自分が作ったものを、小百合も他の同居人も、伸び伸び使用してくれて。嬉しくないわけがないので、共有PCの前に座りながらその様を横目でついつい追いかけてしまった。

「ね、真人!」

 不意に呼びかけられ、それがバレたかと思ってつい居住まいを正す。「な、何?」と返す自分の声が、明らかに動揺していた。
 土を綺麗に払って、手入れの際に出たであろう葉っぱなどを入れた袋を持って、室内に入ってきた小百合。また、なんだか嬉しそうにしている。

「あのね、前話したの覚えてる?」
「や、藪から棒に……どの話?」
「えっと、“形に残るものが作れて、うらやましい”。……みたいなこと、言ったの──」
「……ああ。ありましたね」
「えへへ。記録も記憶も、残るって……忘れないでいたらいいって、真人が言ってくれたやつね」
「……よく覚えてますね……なんか、ハズいから復唱はやめて」
「えー? ふふっ、うん……それでね。わたしも考えたの。記録、記憶──それ以外に残るもの」
「へえ。……答えは出たの?」
「うん! まずは──習慣。きっとこれから先、わたし、お花を育てるたびに、このソフトを使うんだ」
「暦で使うために作ったのに?」
「きみに頼んで、ここじゃなくても、ひとりでも使えるようにしてもらうー」
「はあ……あんたも大概な顧客ですね」
「お礼に、綺麗に育ったお花を贈るよ。四季のフラワーレター……いかがですか?」
「そういうんじゃ……いや、まあ、いいか」

 ──澱みないやり取りは、積み重ねた日々の証拠だ。

「あとね、癖。癖も残るよね。ひとりになっても──朝起きたら一日の予定をホワイトボードに書いて、最後にお風呂に入ったら、お風呂場を洗うよ」
「──うん」
「……家を出る時は“いってきます”って言って。帰ってきたら“ただいま”って言うよ」
「…………うん」
「──誰かといた時間が、残り続けるんだ。わたしがひとりになっても、消えたりしない」
「……」
「わたし──きみが過去を振り返った時、ここまどろみ町に来てよかった、って、そう思って欲しいって、言ったよね。でもね、気づいたの──一番そう思いたかったのは、わたしだったんだって」
「…………小百合」
「ね、真人。きみもずっと、覚えててね。春と夏と秋と冬と。わたしたちのこと」

 ──何度となく過ごした夕暮れの時間。無数の生命が営む町の光を浴びて、ほんのり眩い彼女はやっぱり、手が届きそうで届かない。
 でも、届かなくても、いい。それでも、手を伸ばし続けることは出来るから。

「……覚えとくよ。ずっと」

 願わくば、あなたも。
 ずっとそう思ってくれますように。

 

お花屋さんの娘である小百合と、復讐による独学でPCに精通した真人をメインに書いたつもりです。CP(まこゆり)話の想定ではなかったけれど、なんとなく滲んだ気がします……「暦」は成り立ちやバックボーンの割に、住んでる人たちがちぐはぐだけど普遍的で、だから大好きです。伝わったら嬉しいな。
2026.03.27

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