八乙女 彼岸は泣き虫な子どもだった。引っ込み思案で、おどおどしていて。春分点の福音に傾倒した両親にはあまり愛されていなくて、いつも祖母の家に預けられていた。彼女の影響で、押し花を作るのが好きな子どもだった。
そんな引っ込み思案な彼を引っ張ってくれたのが、友だちの一花 茨。
彼は生意気で、だけど優しくて、しっかり者だ。いじめられがちな彼岸を颯爽と庇って、それについて謝ったら「ベツに? あんなふうにいじめる奴の方がダサいじゃん」と軽く言い放つ。彼岸にはまぎれもなく、茨の姿はヒーローのように映っていた。
それ以上の感情が、憧れを、友だちを、少しずつ塗り潰していくのにそう時間はかからなかった。
「──茨は、ぼ、僕の……特別なんだ……」
そう語る彼岸の瞳は、血のように赤い色がキラキラ瞬いて、とても綺麗だった。彼は茨に“恋”をしていたのだ。彼岸にとって、茨は尊敬できる友だちで、憧れのヒーローで、僕の……、そう言い切れるくらい、彼は茨に依存していた。茨がそれを拒否したことは一度もなかったのも、その思い込みを助長させていた。
そんな茨には度々自分よりも、友だちよりも優先する事柄があった。立ち止まって、駆けてくる誰かを待つ茨の表情は、誰にだって見せたことのないものだ。
茨の双子の妹、一花 小百合。二人はよく似た顔つきで、同じように翡翠色の瞳で彼岸を包み込む。茨のことを小百合に取られるのは悔しかったけど……まあ、家族だし、と受け入れていた所が、確かにあったのに。
それなのに。
茨は事故に遭った。……いや、ただの事故じゃない。妹を庇って、代わりにその命を散らした──らしい。茨に似合う、かっこいい死に様だ。だけど、信じられるはずも、受け入れられるはずもなかった。僕の茨が、こんなことで、死ぬ?
淡々と進む茨の葬式。泣くことも忘れ、茫然とそれを見ている小百合。泣き崩れる二人の母親。全てがそれを現実だと教えてくれていた。
茨は死んだんだ。ノロマな小百合のせいで。──そんなのって、ないよ。
「……僕は、今でも認めてない」
僕の寮室。その床に座り込むのは小百合、君の役目。
いつもなら、お節介に距離を詰め、声をかけてくる小百合に対しての牽制のための言葉。でも、今日は違う。
……どうかした? 小百合は今までのことをきっと反省して……泣きじゃくってるよ。興味のないひとを責め続けるのは僕の趣味じゃないけど。茨が帰って来ないのがおかしいんだ。
いま僕の目の前には、茨にそっくりな顔をした、忌まわしい女子の姿。
「彼岸……」
消え入りそうな声で僕の名前を呼ぶ声も、雑音にしか聞こえない。彼岸はしっかりと赤い瞳を見開く。小百合が怯えたように後ずさる。
「ぼ、僕はずーっと、君が嫌いなんだ。大好きな茨をいつも独り占めしていて──独り占めにしすぎて、茨を殺しちゃった……な、──何にも許してない。なんにも。」
小百合は言葉すら出せないくらい、息をするのに苦しんでいた。気まぐれで彼女のそばに寄って、彼女の背中を撫でてやる。少し気が緩んだのか、けほ、けほ、と嗚咽を漏らす小百合がどうしてもいじらしい。
彼岸は小さく息を吐くと、男性にしては華奢な手で小百合の頰を打った。「っぅ…!」と声を漏らす小百合。翡翠の瞳が潤んでる。茨と同じ色。
口の中を切ったのか、血がぽたりと小百合の口端を伝う。彼岸は「ん」と呟くと、しゃがみ込んで彼女の唇に自身の唇を重ね合わせる。
「ッ……んう……!!」
じたじたと暴れ小百合は抵抗をしようとするけれど、驚いた。
あのか弱い彼岸の方が、ずっと強くて、がっしりしている。
血の味がするファーストキス。彼岸は何も言わず、何の感慨も示さず、小百合の口内を舌で蹂躙して、彼女の血を根こそぎ舐め取っていく。苦しくて、でもどこか高揚感すらあって、わけもわからないまま小百合が一生懸命それに応えていると不意に唇を離し、彼岸が言う。
「──茨と、同じ血が流れてるから」
「え……」
「だから、こ、こんなに甘く感じる──切なくて、胸の中がおかしくなっちゃう!」
「ひ、彼岸……」
「茨と同じ顔をしないで! 吐き気がする──」
彼岸は立ち上がり、静かに寮室の鍵をかけた。その意味を、小百合は理解することができなかった。彼岸は誰にも見せたことのない悪戯っ子のような表情で、笑って見せる。
「──君の中の茨を、全部見つけ出す。血も、体液も、か、体だって──茨は、ここにいるって証明するんだ。それくらい、ぼ、僕に……許されていいでしょ?」
「それっ、て」
「ん……な、中身、全部バラバラにして。っていうのでも良かったよ? でも、僕は、君がおかしくなってくのが見たい──」
小百合の目線にあわせ、しゃがみ込む彼岸はあの頃と変わらないあどけない少年のままだった。彼は今でも、いつでも茨を探している。そう思うと、切なくて、苦しくて、やりきれなくなった。
彼岸がおかしくなったのはわたしのせいだ。
そう思って、小百合はこの、暴力的で甘い響きをもつその先へ踏み込むことを決めた。
「……て……抵抗しないんだね」
彼岸が首を傾げる。その瞳は大きくて、綺麗。
これから始まる行為のおぞましさなんて微塵も感じさせない。
小百合は弱々しく、たしかに頷く。
「ぜんぶ、彼岸の言う通りだもん」
「……」
「彼岸の気が済むなら、それで良いよ──」
彼岸は「〜〜〜っ」と声にならない声をあげると、小百合を押し倒し、跨った。セーラー服の襟を掴み、もう一度噛み付くようなキスをした。小百合は泣いていた、あああ!!! 茨と同じ顔で泣かないでくれ。僕のヒーローなんだ、特別なんだ、茨は!! こんなしょうもないことで、泣いたりなんかしない──
「んっ、んぅ、……!」
拒否を許さない激しいキスを無我夢中でしても、彼女は合わせるように舌を重ねてくる。それがどうしようもなく腹立たしくて、苦しくてしかたない。気づけば両手は勝手に彼女の制服を暴いていて──、完全ではない性知識で、彼女を喘がせていた。無理やりだ。無理やり──
……きっと茨なら、こんな自分も受け入れてくれたはずだ。「バカじゃないの」なんて言って、身を委ねてくれたはずだ。もしかしたら、逆もあり得たりなんかして──
でも、茨はいない。どこにもいないんだ。
「ひがんっ……ぅ、あッ……」
「僕の名前を呼ばないで……!!」
恋人みたいなことをして、彼岸はめちゃくちゃな感情を発散させる。乱暴に手を繋いで、彼女の胸にむしゃぶりついて、血の味がするキスをする。だけど、おかしいことに、泣きながら相手をしてくれる小百合に茨の姿が見えるんだ。
時々彼女から漏れる甘い声が、すがたをおかしくさせるけど。確かに僕はいま、茨と繋がっている。
「いばらぁ……なんで、ぼ、僕を置いてっちゃったの──」
「…………ッ」
泣きながら「茨」に縋る彼岸に、小百合は何も言えない。
下半身を埋めながら、キスをしながら、彼を慰めてあげることしかできない。
だってわたしは茨じゃない。茨は、わたしの過失で死んでしまったから。
やがて、気が済んだのか。彼岸はゆっくり立ち上がる。小百合の体に暴力の跡を残して、彼は言う。
「……き、君は……僕を置いてかないよね? ……ね?」
「……」
それに答えるのは、きっとわたしの役目じゃない。小百合はそれをわかっていたけれど、少年のぐしゃぐしゃになった体を控えめに抱きしめて、「うん」と答えた。