病室の窓を開けると、初夏のにおいがただよってきた。風に揺れる葉が青々しく心地よい。少し前、みんなで眺めた桜の花もきれいだったけど葉桜もなかなかいいな、とわたし――一花小百合は微笑んだ。
そこに。
「遊園地に行かない、小百合ちゃん?」
病室の主から爆弾発言が飛び込んだ。
「えっ、遊園地!?」
わたしは慌てて咲良優の方を向く。
なにしろ彼は自宅にいる期間より入院している時間が長いような人間だ。気軽に行けるような場所とはとても思えない。
しかし、言い間違いでもないようで、優は「そう、遊園地」とうなずいた。
「行けるものなら行ってみたいけど、その、身体は――」
「術後の経過が良好で、いままでより自由に行動していいって許可が出たんだ。遊園地も、激しい乗り物はともかく小さな子どもむけの遊具なら平気だって。といっても、小百合ちゃんに迷惑かけちゃうかもしれないけど……」
「ううん! むしろジェットコースターとか乗らなくてほっとしたくらい。でも、どうして遊園地なの?」
「兄さんがチケットをくれたんだ」
優が小棚の引き出しを開ける。たしかに2枚、遊園地のチケットがあった。
「小百合ちゃん、兄さんとデートしたとき、遊園地に行きたがったんだって?」
さっと顔が赤くなる感触があった。いまの恋人から昔の片思い相手の名前が出るときほど気恥ずかしい瞬間もない。その片思い相手が現恋人の兄となれば、なおさら。
「だからくれたんだ。ふたりで遊んでおいでって、僕の調子が良くなったお祝いに。兄さんじゃなくて僕じゃダメかな?」
どう? といたずらっぽく笑う優。
その言い方はちょっと意地悪じゃない? とふてくされたい気持ちを、でも、優の気持ちにずっと気づかなかったのも事実だから、と抑える。そして。
「……あのね、それを言ったのはまだ京介さんに未練があるときだったの。いまは優といっしょがいちばん嬉しいよ」
京介さんへの気持ちはただの憧れ。それに比べればいまの優を思う気持ちのほうがずっとずっと確かだ。
試すような物言いをする優に、それが伝わってくれればいい……と思ったのだが。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているあたり、優も意外だったらしい。
けれど、その驚きはすぐに笑顔に変わって。
「ありがとう、嬉しいよ」
と言ったのであった。
***
優の体調が良い日を見計らった休日。ふたりは街の遊園地へ来ていた。
ごったがえすというほどではないものの、来園者の数は少なくない。
「人ごみに疲れたら教えてね」
「ありがとう小百合ちゃん――おっと」
立ち止まっていた優の背中に誰かの腕がぶつかった。「すみません」と頭を下げる女性に「いえいえ、大丈夫です」と優が返すと、彼女は再度会釈して、去ってゆく。
そして、待ち人を見つけた彼女は――その青年と腕を絡ませ、ぴったり身体を密着させながら歩いていった。
なんとなく、気まずい沈黙が訪れる。
どうしよう、カップルって普通あれだけくっつくもの? でもそれはさすがに恥ずかしいし……。
迷っていると、横に立つ優の手が、ほんの少し、わたしの方へと伸びていた。
わたしはぎゅっとその手を握って――エントランスゲートへと歩いて行った。
***
「きゃー! 見ました巴さん! いま手をつなぎましたわよ!!」
「あやめちゃん、しーっ! 静かに! 見つかってしまいますよ」
小百合と優から少し離れた電柱の裏。ふたつの影は、手にした双眼鏡でカップルの動向を監視していた。
彼女たちは小百合の同級生。小百合がデートに行くと聞いていてもたってもいられず、こっそりついて来ることにしたのだ。
「尾行というのはちょっとはしたないですけれど……でも! 私たちは小百合さんのお友だちですもの! デートを見届ける義務がありますわ!」
多少のうしろめたさ程度、好奇心にはあっけなく負けるものである。あやめは興奮を隠せない様子で言った。
巴もうなずく。
「私から咲良さんを奪ったんですもの。小百合ちゃんにはそれ相応の相手になっていただかないと……」
「巴さん!?」
「冗談です」
ふふ、と笑う巴。しかし、彼女が言うとどうにも冗談に聞こえない……。
「いまは単なるお友だちとして応援しています。今日のことだってお父さんになにも言っていませんもの」
「そ、そうですわよね、安心しましたわ……」
「ほら、ふたりが行ってしまいますよ」
確認すると、確かにふたりは先へ進んでいる。見失ってはたまらない、とあやめは巴の本心を考えるのはあとまわしで追跡を開始した。
***
見失う可能性も考えていたが、優と小百合は終始スローペースで行動するので、尾行自体は簡単だった。
パンダの乗り物を楽しむ。ふたりでメリーゴーラウンドに乗る。ヒーローショーを見物する。売店でそろいのキーホルダーを買う。ソフトクリームを食べる。
遠くからでもふたりがたくさん笑っているのがよくわかった。
しかしながら。
「退屈ですわね……最初に手をつないだところがピークでしたわ」
ただの遊園地デートに波乱万丈あるわけないので当然だが、ゴシップに目がないあやめとしてはもう少し何かあってほしい。
巴は腕時計をちらりと確認し、ため息をついた。
「もうすぐ閉園の時間ですし……帰ってしまわれるかもしれませんね」
「まあ、仲の良いふたりが見れただけでも収穫とするべきですわね」
と、あやめと巴が帰り支度をはじめると。
「あら、入口とは反対方向に向かっていますね」
急遽、帰宅を中止し追跡を続行。出口へ向かう人々の流れに逆らい、小百合と優は園の奥へと歩いていく。
「この先って何があるのかしら?」
「ええと、ジェットコースターがありましたね。でも咲良さんは乗れないはずです」
「もうひとつ何かあった気がするのですけれど……」
地図を広げて覗き込む少女ふたり。そして見つけたものは。
「……観覧車」
あやめと巴は顔を見合わせると、パっと駆けだした。
しかし――時すでに遅し。尾行対象はふたりっきりでゴンドラの中。
「迂闊でしたわ! 観覧車に乗られてしまっては何が起こってるのか見えないじゃありませんの!」
「距離をとっていたのがあだになりましたね……」
地団駄を踏んでいると――なんと、優と小百合がこちらに向かって手を振った。
「ええ!? バレていましたの!?」
「そんなあ……」
さらにがっくりと肩を落とすふたりに、心底愉快そうに笑いながら、カップルは上空へと向かっていった。
***
あーあ! あやめも巴もびっくりしてる。おかしいなあ。
優もわたしに負けず劣らず笑い転げていた。
「小百合ちゃん、いつから気づいてた?」
「うーん、入園してすぐかな。ふたりとも行動がお嬢様だよね。見つからないように動くなんて無理だよ。優は?」
「僕も同じくらいかな。あんまりにも不器用に隠れたふりをしてるから、逆に面白くなったくらい」
クスクスと笑いを漏らす間も、ゴンドラは高く上ってゆく。
「遊園地全体が見えてきたよ。あ、あそこにゲームコーナーが見える。小百合ちゃんが射的ゲームの名手だなんて、意外だったな」
「えへへ、まあね。持つなら銃よりナイフのほうが好きだけど……」
なにしろ夢の世界ではナイフ使いだったのだ。
「ナイフ?」
おっと、口に出ていたらしい。怪訝な顔をする優に、ぶんぶん手を振って否定する。
「ううん、なんでもない! ほら、遊園地だけじゃなくて街が見えるよ!」
気をそらすために指さした外だが、夕日に照らされるわたしたちの街は思わず見とれてしまうほど美しかった。
大きなビルの壁面が沈みかけの太陽の光できらきらと輝いている。わたしの学校や優の病院も、赤く染まった姿はどこか神秘的で。
「きれいだなー。街並みは変わったけど、夕日がきれいなのは記憶通りだ」
「小百合ちゃん、この遊園地に来たことがあるの?」
意外そうな顔の優。そうか、これは優に話したことがないんだっけ。
「あるよ。ずーっと昔、お母さんと茨といっしょに」
優の動きが止まる。優は知っている、わたしがどうしてひとりになったのか。だから、どう言葉をかけたらいいのか悩んでくれる。
……そういうきみの優しさが、わたしは好きだ。
「すごくちっちゃいころに来たから、記憶もおぼろげなんだ。でも、楽しかったことだけははっきり覚えてる。すごく楽しかったんだ――きょう一日と同じくらいね」
きみの手を握る。白い顔に夕日が照って、まぶしいくらいに赤く染まってる。
「誘ってくれてありがとう。これは、お礼」
ゴンドラは最高点。ゆっくりゆっくり下りるまで、下のおせっかいな友だちから見えるようになるまでのわずかな時間。
わたしはそっと――優のくちびるに自分のくちびるを重ねた。
優はどんな顔をしてたんだろう。緊張して目をつぶってしまったからわからないけど、少なくとも、最初はほんの少しこわばってて、でもゆるやかに力が抜けていって――なんだか、甘い香りがした気がする。あたたかくてやわらかい、命の香りが。
顔を離してからは、ふたりで黙って夕焼けを見ていた。
……だってそうじゃないと、せっかくなんでもないふうを装っているのに、顔が真っ赤だってバレてしまうから。
***
地上に降り立つと、観覧車の出入口であやめと巴が待っていた。
「もう! おふたりとも意地が悪いですわ。気づいているなら言ってくださってもいいじゃありませんの」
「黙って他人のデートを観察するのはもっと意地が悪いんじゃないかな?」
「うう、言い訳できないですね……」
ふたりがあまりにもうなだれるものだから、もう一度優とふたりで笑ってしまった。
「あはは、怒ってないよ。むしろふたりの尾行がおもしろかったくらい」
「はい、これはふたりに」
優が売店で買ったキーホルダーを差し出す。実はあやめと巴のぶんもちゃんと買っていたのだ。
「今度はみんなで来ようね」
と言った瞬間に、閉園を告げるアナウンスが鳴った。さあ帰ろうか、と出口の方へと歩き出す優と、それに続く巴。わたしも、と思ったが、くいくいと袖を引っ張る輩がいた。
好奇心を抑えきれない顔で、耳打ちするあやめ。
「それで、観覧車の中で進展はありましたの?」
うんうん、気になるよね。でも――
「ひみつ!」
わたしは元気よく答えて、優たちの方へと駆けていったのであった。