学校から帰ってきて、夜になって──僕はぼんやり携帯を見ていた。液晶をなぞって、興味のあるページをスクロールして、タップして続きを読む。何気ないことだけど、僕の楽しみの一つだった。だって病院での娯楽は、遊び尽くしてしまったから。
そんななかで、着信音が鳴る。メッセージアプリを起動する。僕の友だちは至って少なくて(でも最近ふたり追加された)、あとは家族と公式アカウントからばかりだ。その中で、大好きな名前が目に飛び込んだ。
『優、こんばんは。いきなりなんだけど、二十三日って何か予定ある?』
小百合ちゃんからのメッセージは、いつもドキドキする。このときだけは、味気ない僕のメッセージ欄もかがやいているみたいになる。僕は(返事、あんまり早いと引かれるかな……)なんて考えながら、すぐに文面を考えた。
『こんばんは。特に何もないよ』
ちょっと味気なかったかな。この間、友だちに「お前のメッセージ、なんか冷たいよな」とからかわれたのを思い出す。そんなつもりなくて……ただ、うまい絵文字の使い方を知らないだけなんだけど。すぐ既読のしるしがつく。彼女も携帯を手にやりとりに付き合ってくれている事実が嬉しい。でも、なんの話だろう?
『二十三日に幾月神社で夏祭りがあるの』
そういえば、そんな話を友だちがしてた気がする。夏祭り──話には聞くけど僕は幼い頃の一回しか行ったことがなかった。待てよ。……その話をしてくれるって、ことは。
『よかったら、いっしょにいかない?』
ふわりと鳴って届いたその文章は、僕の頼りない心臓がどうしようもなくどきどきするには十分だった。
◆
「優、どしたの。ぼーっとして」
母さんが言う。今日も父さんは帰りが遅い。兄さんはひとり暮らしで家を出ているから、僕は母さんと過ごす時間が一番多い。
心配そうに僕を見る母さんに「なんでもないよ」と返す。……でも、さっきの衝撃がつよすぎた。僕は「やっぱりなんでもなくない」と訂正し、母さんに言う。
「あのさ……、小百合ちゃんが二十三日、夏祭りに行かないかって」
「へえ! いいじゃない、行っておいでよ」
母さんは最近の僕がすこぶる調子が良くて、学校にも復学できている事情を知っている。だから、とてもうれしそうに明るく言った。
「夏に体調良いの、ひさしぶりでしょ。無理しない範囲で、たのしんできて」
「ありがとう……」
母さんにも後押しされて、僕はもうすでに、スキップでも踏んで歌い出しそうな心情になっていた。すると、母さんが続ける。
「小百合ちゃんがいてくれるなら安心だなー、女の子から誘ってもらえるなんて、優ったらすごいじゃない」
「うーん、幼なじみだからじゃないかな」
「まだそんなこといってるの。こないだ付き合うことになったー! ってはしゃぎ回ってたのはどこの誰だったかなぁ」
「こ、言葉にしないで。恥ずかしいから……」
「あはは。きっと小百合ちゃん、かわいい浴衣着てくれるんだろうなぁ。私も見に行こうかな」
「ひ、一人で行けるって!」
浴衣。この時期、テレビをぼんやり見てると、よく着てる人が取材を受けてたりする。小さなころ、一回だけ行った夏祭りは、うちの家族みんなで、一花さんちと一緒にだった。
小百合ちゃん、そのとき浴衣を着てたっけ。あのときは朝顔がかかれた、爽やかでかわいい柄だったと思う。父さんのカメラを借りて、茨とふたりで写した写真に残してあるし、記憶でもよく覚えている。
……浴衣、浴衣か。僕も着るべきなのかな。僕の服は私服が数枚に、後は全部病院着だ。洒落た柄のひとつも持ってやしない。
あんな感じの小百合ちゃんがまた見られるなら、感激だけど……集合時間は放課後だろうし、きっと小百合ちゃんは、よく似合う月が丘の制服じゃないかな。
なので、僕もそこまで気張っていかず、夢見学園の制服で行こうと決めた。……なんか、一人だけ私服を下ろしたりして行ったら、カッコつけというか……浮くかもしれないし。
でもそっか。夏祭りか。
風呂に入って、適当にリビングで時間を潰して、僕は寝るために自室に戻る。小さいころの記憶は朧げだ。
たしか兄さんが僕たちそれぞれに小遣いをくれた。茨が一番計画的に使い切って、小百合ちゃんは大きなわたあめだけで小遣いを切らして落ち込んでたな。「まだまだ食べたい」って言って。だから僕がお金をあげて、彼女が選んだものを二人でつついたんだよな。懐かしい。
そのことを知った兄さんがあとで、「もっと渡してやればよかった」としょんぼり言っていたけど、あれは兄さんのバイト代から出ているものだった。僕ら三人にそれなりの金額を渡すのも、大変だっただろうな……
それを思い出して……僕は小百合ちゃんに返した『僕で良ければ、行こう』と言うメッセージについた既読マークを確認して、主治医への連絡先を開いた。
『夜遅くにすみません。循環器内科、一〇三号室の咲良優です。相談したいことがあるんですが……』
◆
二十三日の放課後。
生徒の何人かは、もちろん幾月神社の夏祭りの話をしていた。僕の隣の席の和戸さんは女子たちに誘われて、夏祭りに行くことにしたみたい。すると、友だちの蓮が言う。
「咲良、おまえどーする? 俺ら、四人くらいで幾月いくけど」
「あ、大丈夫。先約がいるんだ」
「先約? あ! わかった。前話してたおジョーサマだろ」
「もう……月が丘はお嬢様学校だけど、小百合ちゃんはお嬢様じゃない。普通の女の子だよ」
「おジョーサマの幼なじみだろー? いいよなー。俺も女子と祭り行きたいな」
「え、日比谷くんとこ、じゃあうちらと一緒に行かない?」
煩悩だだ漏れの蓮に、和戸さんのいるグループの女子が声をかけていた。思わぬ誘いに蓮以上に周りの生徒(多分、一緒に行く予定の生徒たち)が食らいつく。
「まじ? 行く!」
「目黒は誘ってないし」
「ひどっ」
「和戸さんもいいでしょ?」
「あ、あう、うんっ……行きたい……ですっ」
どうやら、蓮たちには蓮たちの楽しい夏祭りが待ってるみたい。それに負けないくらい、僕もワクワクしていたけれど。
「じゃあ蓮、また明日。もし夏祭りでも、会えたらいいね」
「おー、じゃな、咲良。あんまリア充見せつけて来んなよな、くやしいから!」
「そんなことしないって」
僕は鞄を手に取って、夢見学園の校門を出る。携帯画面を確認すると、またメッセージ欄が花やぐ。小百合ちゃんからだった。
『ごめん、ちょっと準備がかかるから、十九時に幾月神社の前でまってて!』
僕は「わかった」とそれに返した。
確か子どもの時も、小百合ちゃんの準備が一番遅かったと思う。待ってる間、気を利かせてくれた兄さんのお金で茨とどっちが金魚をすくえるか競争したな。負けたはずだ。
僕は教材で重めの荷物を軽くするため一度家に帰って、中身の整理をした。それから、大切にしていた茶封筒を手に取る。……よし。
あと、もうひとつのものを鞄にあらためてしまったりしていたら、時間はそれなりにいい感じだった。僕は幾月神社へ歩みを進めた。
どんどん、と鳴る和太鼓の音。詳しくはよく知らないけど、雅な笛の音。舞を踊る神社の人や、それに手拍子するお年寄りの人たち。みんな、ほとんどのひとがまどろみ町のひとたちだろう。 幾月神社の夏祭りの規模は、すごく大きいわけでない。いたって普通の地元の小さな夏祭りだ。懐かしいなあ。僕は制服のネクタイを少し緩めながら、時間が進むのを待っていた。すると……
「優!」
じゃり、と下駄が地面を踏み締める音。大好きな君の声。僕は顔を上げて君の名前を呼ぼうとした。
「小百合ちゃ、──」
「おまたせ! 待った?」
白地に紺や赤などのライン、所々には名前も知らない花が散った、少し今風のデザイン。
だけどそれはとてもおしゃれで、小百合ちゃんの細い体をさらに細く見せているような帯は、いまの彼女に一番よく似合う、シックな紅色。衣装だけでもおおー……、と息を飲んで、彼女の顔を見ると。
「……へへ。どうかな?」
短い髪は左に寄せて、そこは可愛い花飾りのついたピンで止められていて……しゃらりと、飾りが音を鳴らす。首筋がとても綺麗だ。顔も、もしかしてほんのりお化粧してる?
いつもの見慣れた制服とは全然違う魅力に、僕は息を呑んだ。
「柄は自分でえらんで、髪は陣内さんにきれいにしてもらったの。……じっくり準備したから、変じゃないとは思うけど」
「んっ、へんじゃないよ!」
急に声を出したから喉がびっくりした? 変なところで言葉が引っかかってしまった。それを聞いた小百合ちゃんは、びっくりして、すぐに「あははっ」と鈴が転がるような音で笑う。
「へへ。優、焦りすぎ」
「ごめん……、でも、すごく、すごく……………いいと思う」
語彙の足りなさに僕は焦ったけど……ハッと思い出したように、カバンの中を漁った。
父さんのお古の一眼レフ。僕はそれを構えて、いろんな景色を撮るのが好きだった。昔撮った夏祭りの小百合ちゃんと茨の写真も、僕が父さんのカメラを持って撮ったんだ。
だから、その記憶を思い起こすようにカメラを向けた。だけど、小百合ちゃんは「わ」なんていって顔を隠してしまう。
「えっと、急にごめん……でも、よかったら、君の写真、撮りたくて……」
「んー……逆じゃない? 優の、久しぶりの夏祭りだよ? 優の思い出をわたしが撮ってあげたいな」
「それはそうかもだけど、……でもそれはそれで、これは僕のカメラだから……撮るものは、自分で選びたいんだ」
「むー、……これじゃ平行線だね?」
小百合ちゃんは少し考え込む仕草を見せると、僕の手を取る。「え、」と僕が呟くより先にグイッと、自分の体を僕のすぐそばに近づける。花の匂いがする距離で、僕がどきどきして瞳をぱちくりさせていると、小百合ちゃんは「ぶい」といいながらピースサインを掲げる。
「じゃあ、ふたりで写ろ! そしたら最初の目的達成!」
小百合ちゃんの勢いに乗せられるまま、僕はあまり得意ではない自撮りと……大好きな彼女を綺麗に収めるという重大任務を、よりによってタイマー機能を使ってこなす羽目になってしまった。
「素敵な写真が撮れてたらいいね」
小百合ちゃんが無邪気にカメラを覗き込む。僕もどきどきしながらさっき撮った写真を画面に写す。……ふたりとも、目線がよそに行っていた。
「あははっ」
花が咲いたみたいに君は笑う。僕もおもしろくって、ちょっぴり笑った。
とりあえず最初の撮影とか、僕が今日カメラを持ってきたってことは共有できた。次にすることはやっぱり、改めて彼女の今のすがたについて触れることだと思ったのだけど……
「優、いこ!」
無邪気に差し出された彼女の手には、そんなの関係ないみたいだった。僕は眩しい浴衣姿を見せる小百合ちゃんの手に導かれるままに境内に足を踏み入れた。
そこからはしばらく屋台巡り。金魚掬い、射的、ミニゲームの数々。「なにしよっか?」と小百合ちゃんが言う。ちょっとそのとき僕は別のことを考えていて、返事ができなかった。頬を膨らませていた小百合ちゃんだったけど、すぐ機嫌を直して「射的かな!」なんて言いながら、店員さんの元に向かう。
彼女が僕に背を向けた直後、僕は茶封筒からあらかじめ確認しておいた射的の金額を出し、「一回お願いします」と店員さんに渡した。
「あいよー、弾がなくなるまで打っていいから」と、射的用の銃を渡される。
「ゆ、優? いまのお金、どしたの」
「ん……僕の……ポケットマネー、的なもの」
「えー? あはは、なあにそれ」
「それよりも次の人も並び始めてるよ。がんばれ、小百合ちゃん!」
僕は射的の銃を彼女に渡す。小百合ちゃんは僕とお店のおじさんを交互に見ていたが、やがて「……わかった!」と気持ちを切り替え、商品に向けて銃を構える。その姿はなかなか様になっていた。
ぱしん、ぱしんと大きなぬいぐるみに当たる。割と位置が動いている、もしかしたらもう一回やれば……僕がそう思うより先に、小百合ちゃんは「うー」と唸った。
「……落ちますようにっ」
ぱす、という音と共に放たれた弾はぬいぐるみのお腹に吸い込まれた。
「はい、お疲れさん。もっかいやるかい」
無慈悲な店員のおじさんの声。小百合ちゃんはすっかり落胆し、「ごめん……」と言った。でも僕はいつのまにか、その瞬間を写真に収めていた。
「あ! 優、いまもしかして、……撮った?」
「うん……頑張る姿が、すごくよくって」
「よくって、じゃないよ! もー、貸してっ」
小百合ちゃんは頬を膨らませ、僕からカメラを奪い先程撮った写真を見つける。そしてそれを削除してしまった。
「ええっ……なんで」
「かわいくないからだめ!」
小百合ちゃんにそう言われては、仕方ない。だけど、じつは僕は彼女がこちらを見ていないとき、……たとえば後ろ姿とかに、かくれて何回かシャッターを切ることができていたので、あまり引きずることはしなかった。
また中へ進んで、大きな鳥居がやってくる。
ぺこりと頭を下げ、鳥居をくぐる小百合ちゃんに従って僕も頭を下げる。手を清める工程とか、多分どっちもなんとなくこなしたと思う。
それで、ふたりで賽銭箱の前に並んだ。
「わたしは五円! そろそろ大学か就活、選ばないとでしょ。ご縁がありますようにって」
小百合ちゃんはあの頃に戻ったみたいな無邪気な笑顔で、五円玉を見せる。うん、と返しながら茶封筒の中を開くと、微妙な金額の小銭が残っていた。
「うーん、端数が三十一円。微妙だな」
「そうだねぇ……あ! でも、何かで見たよ。割り切れない数字のお賽銭は、……その、恋愛のお願いに、つながる、って……」
「えっ」
途端に、少し恥ずかしくなる。
子どもの頃の思い出に飲まれていた僕の視界に急に色が差す。その中で、色を取り戻した小百合ちゃんが笑っている。
「……わたしたち、もう、恋人……だよね?」
その言葉に、僕の心は揺さぶられた。
「一礼……おわり! 叶うといいねっ」
横に捌けながら笑う小百合ちゃん。僕は今日、まだ何も伝えられてないことに改めて気づいて「さゆり、」と言葉を紡ぐ。すると今度は小百合ちゃんが僕の後ろを差した。
「りんご飴!」
ほどほどに遊んで、賽銭も入れた。あとは、屋台の食べ歩き、それが小百合ちゃんが一番すきな工程だった。わあっと瞳を輝かせ、パタパタとお店へ駆けていく彼女を慌てて追う。値段は、大きいので四百円。大きいと、厳しい。
「まだ色々食べたいから、小さいのにしよっか!」
小百合ちゃんが言う。で、ポーチの中を漁ろうとしたから、いまだと、僕は茶封筒の中に生きていた三百円を払った。
「まいどー、好きなりんごをとっていってね」
店員さんの気だるげな声の後、大喜びする小百合ちゃんの声……ではなく「優ー……」というむすっとした声が響く。
「また払ってくれたでしょ。本当に大丈夫? お金なんてどうやって……」
「あはは……病院で、先生のお手伝いしたんだ、資料の整理とか。そういう……本当に小さいことをしてもらったお賃金だよ。今日のために使いたかったんだ。だから怒らないで?」
「怒ってはないけどー……もっと、優の楽しいことに使うべきお金だから、気になって」
「それは大丈夫。これ以上ないくらい、使いたいようにお金を使っているから。……ね、喜んで欲しいな。だめかな」
しばらく小百合ちゃんは黙っていたが、割りやすそうな少し不安定なかたちのりんごあめを手に取る。割ってくれるのかな、なんて思っていると彼女は「今のりんご飴って、昔よりずっとかじりやすくなったんだよ」と呟いた。
「だからわたしがこっち側、優がこっち側。芯の部分にどっちが先に辿り着けるか勝負!」
「ええっ。小百合ちゃん、一人で食べなよ」
「わたし、よく考えたらあんまりお腹減ってない。だから、二人で半分こしよっ」
ね、そう言いながら小百合ちゃんは僕の隣に寄り添い、背伸びする。しゃら、と髪飾りが揺れて……ドキドキする。よく見える首筋が、なんだか色っぽくて……
しゃく、という噛み付いた音で現実に弾き戻る。小百合ちゃんだった。
「あまっ! ……でも、やっぱり硬いね! ふふ、おいしいよ優! 早く食べて食べて!」
幸せそうに笑う小百合ちゃんに、一番安心した。僕は「うん」と答えると、ちょっと頑張ってしゃくりと、飴の反対側を齧ったのだった。
「咲良ぁ~……、リア充すんなっていったじゃん!」
聞き覚えのある声に振り返ると蓮がいた。
あ、蓮め、ちゃんと浴衣を着ている。ちゃっかりしている…! その隣には……
「あれ? 和戸さんも」
僕が和戸さんの方を見ると、恥ずかしそうに目を伏せる。彼女は「えと、はぐれちゃった、ところを、ひ、日比谷くんが、見つけてくれて……」とそう言う。彼女も浴衣を着ていた。空色が基調の明るい生地に、名前通りのひまわりの図柄がとてもよく似合っていて、僕は「和戸さん、似合ってるね。……蓮も!」とはしゃいだ。
「それはいいけど、お前、りんご飴をあんな距離で、二人で分け合うとか……くそっ、まるで恋人のそれだったぜ」
「……もう、いつから見てたの? いいだろ。僕らがどう食べようと」
なんだか嫌味っぽい蓮への挨拶も済んだことだし、気恥ずかしさと共に彼を追い払おうとして……カメラの存在に気づく。
「……そうだ、待って。ふたりとも写させてよ。僕の思い出の一ページ」
ふざけて僕がそう言うと、蓮は「カメラ~? いいけどさ、なんか見返りくれよ」と妙にがめついことをいう。和戸さんはどこか恥ずかしそうに、俯いている。
どうしよう、ふたりは友だちだ……できれば、記録に残したい。
「わたしが撮るよ!」
すると小百合ちゃんが笑って、僕の手からカメラを取る。きょとんとする僕らを画面に収めるため、カメラを構える彼女。
「ほら優、ふたりに近づいて! そうだなー、日比谷くんはもうすこし腰をかがめて、和戸さんはちょっと背伸びして! ……そうそう!」
いつになくテキパキとした彼女の誘導に、僕らは言われたとおりに並んだ。それを見て小百合ちゃんは笑うと「じゃあいくよ! ハイ、チーズ!」
……そういって、僕の高校での初めての友だちの姿をフィルムに残してくれた。
「うおお、ナイス、一花さん。一花さんも写ったらよかったのに。四人でさ!」
「あはは、ありがと。でも日比谷くんも和戸さんも“優の”おともだちだもん。せっかくなら……より、大切な一枚にしたいよね」
蓮と小百合ちゃん、二人が話しているのを見ていると、和戸さんが控えめに僕の制服の裾をひく。
「ん……? 和戸さん、どうしたの?」
「あ、あの、…………ひ……一花さんの、きもち。ちゃんと、聞いてあげて……ほしいのです。……ね?」
それは……、
僕が続きを尋ねようとする前に、彼女はもう蓮のところに戻っていた。
「ひ、日比谷くん。……そ、そろそろ、みんなと合流しないと」
「そっかぁ……そーだな。んじゃ一花さん、こんどフレコ交換しようぜ!」
「うん! ありがとう。わたし結構強いから、負けないよ〜?」
いつの間にやら、蓮と小百合ちゃんの会話はゲームの話にまで発展していたようだった。手を振り、離れていく蓮と和戸さんの姿が遠くなる。ある程度まで見送ってから、小百合ちゃんが振り向いた。
「さっきのりんご飴対決は、わたしの勝ち」
「えっ」
その手にはすっからかんになった、りんごの芯が刺さっただけの棒があった。
「わたしが全部食べちゃった」
「負けちゃったか」
僕の言葉を受け、小百合ちゃんは「そうだなぁ、勝った方は負けた方にお願いを聞いてもらえる! 王道でしょ。これでどう?」と言ってみせた。
「うん、もちろん……どうしたらいいかな?」
すると小百合ちゃんは祭囃子のなかで、頬をほんのり赤くしていった。
「今日は、最後に花火があがるんだって。そのときまで、ここにいてほしいな」
「ふふ……そんなの、お安い御用だよ」
僕がそう答えると小百合ちゃんはにかっと笑う。
「それにしても、花火か……久しぶりだな。このくらいの規模のお祭りなら、きっとそこまで大きくはないよね。一枚くらいは……打ち上がったところを撮りたいな」
カメラの調子を見ながら独り言のように僕はそう言う。黙っていた小百合ちゃんが、不意に僕の隣に近づいてきた。
「どうしたの?」
「んー……恋人っぽい距離を探してるの!」
「ええっ」
僕はさっき、和戸さんに言われた言葉を理解できたようでできていないでいた。
“もっと小百合ちゃんの気持ちを聞いてあげて”……今日の小百合ちゃんは、一番は……まるで子どもに戻ったみたいな無邪気さだ。そしてなによりも、僕のために動いてくれる。
……だけど、まだ僕は伝えたい言葉とやりたいことができてない、そんな状況。小百合ちゃんはどう思ってるんだろう?
昔みたいに一緒にお祭りに来られて嬉しい、とか? ……そんなこと、考えてくれるかな。
いろんな演目の神楽を見たり、この手のお祭りにありがちなギラギラ光るうちわを買って喜ぶ小百合ちゃんを見ていたら、あっという間に時が経った。
花火は閉会式の合図も兼ねているようで、祭りの終わりを見に、また人が集まった。キョロキョロしている僕の手に、暖かくて柔らかい手が添えられる。
「優、はぐれないように手、繋ご」
「あ、うん、……」
そうだ、なんだか今日の小百合ちゃんは、本当に昔みたいな……そう、お姉ちゃんぶっていた。僕に弟みたいに接してくれてる時の、幼い頃の感覚に近かった。僕の方が、誕生日先なんだけどね。……彼女の気持ちをもっと聞けって、こういうこと? 僕たち、一応告白しあったはずなんだけど……
でも、今日の小百合ちゃんが頼もしかったのは事実だし、僕が頑張って甲斐性をみせようとしてたところも、フォローしてくれた。あはは、そうだな、優は頼りないなーって、思われてるのかも。
小百合ちゃんはサクサクと草を踏んで、少し人通りの少なくなった急勾配の道を歩く。
すると、木々の高さより少し高い位置がひらけてくる。そこは花火を見るための、絶好のスポットだった。
「すごいね、小百合ちゃん。幾月神社に詳しいの?」
「ううん。ちょっと前、調べたんだよ。最後の花火を見るのは、どこが一番いいかなって」
今日はとことんお姉さんみたいな小百合ちゃん。僕がありがとう、と答える前に彼女は小さく言った。
「だって、誘ったのはわたしだもん」
「え」
「初めてデートに誘ったんだよ。優に、たくさん楽しんで欲しくて」
「……」
「でも、日比谷くんや和戸さんがいてくれて。わたし、いらなかったかな? って思った。へへ……でも、ありがとね? わたしと一緒にお祭り、回ってくれて」
「小百合ちゃん」
どん、と空砲が上がる。花火の準備は万端みたいだった。……そうだ、すごく楽しかった。久しぶりのお祭り、初めての友だちとの写真。でも、一番嬉しかったことなんてひとつ、そうだろ。
「小百合ちゃん、こっち向いて」
小百合ちゃんは、なんだか、寂しそうに……ちょっと拗ねたようにこっちを見る。
「最初に伝えたかったこと、うやむやになっちゃって、その、ごめん。だから、あのさ……」
「うん」
「…………すっごく似合ってる! その浴衣の柄、小百合ちゃんの髪の色にぴったりだ。あと、花の飾りもとっても綺麗だし。うなじが綺麗で……あ、これはちがう……とにかく、すごく、すごく」
「うん」
「……きれいだ!」
僕がそう言うと、ちょうど花火の一発目が打ち上がった。
「わあっ! 優、上がったよ!」
照れを隠すように花火を指差す小百合ちゃん。そうだ。かわいいんだよ。僕の好きな人は。
もっと早く伝えてあげたかったのに。ごめんね。
小百合ちゃんがこっちを見て、目を細めて笑う。それは幼かったあの頃とは全然ちがう、「大人」の表情で………… 僕の目は花火に見向きもせず、僕の手は鞄の中に伸びていた。
……これで何枚も、母さんの写真を撮ってきたと自慢していた──父さんの一眼レフ。
「……撮っていい?」
僕はもう一度そう聞く。小百合ちゃんは恥ずかしそうに「花火とか、二人で映るとかのほうが……思い出に残るよ、きっと!」と答える。だから僕は首を振って言った。
「ううん。君が撮りたい。君を撮ってたい。今の君の笑顔を、ずっと残してたいんだ」
また、花火が打ち上がる。パラパラと燃え尽きる音が、とても綺麗だ──でも、それよりもずっと。明かりに照らされて月の光のような髪を風に揺らす、君の方がずっと。
小百合ちゃんは言う。「しょうがないなぁ」
そして、最上級の愛おしい笑顔で、僕に笑いかけた。
シャッターボタンを押す。この一瞬の時間を、永遠に切り取るために。